「サボりの天才」「サボり屋」などと陰口を叩かれるも、実際のところは、自分にとって必要な練習は、人の見ていないところでしていたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、先輩から押し付けられた、無意味と思われる練習や洗濯など、無駄なことはしたくないという態度は、周囲と摩擦や軋轢(あつれき)を生むことになったといいます。

「長嶋一茂が「サボりの天才」と言われていた真相は?」からの続き

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無駄なことはしたくないという態度から野球部の同期の三雲とよくケンカをしていた

一茂さんの「無駄なことはしたくない」という態度は、当然、周囲と摩擦や軋轢(あつれき)を生むことになったそうで、一茂さんは、野球部の同期だった三雲さんと、そのことが原因でよくケンカをしたといいます。

例えば、一茂さんたちが1年生の頃、一番厄介な仕事がグランド整備で、特に、雨の降った翌日は、グランドに砂を入れなければならなかったそうですが、これがとんでもない重労働だったそうで、

三雲さんは、重労働だからこそ、みんなで力を合わせ、完璧に仕上げたいと思っていたそうですが、一茂さんは、三雲さんのそのような気持ちをいつも逆なでしたそうで、

三雲さんは、その時のことを、

そういう時に、一茂はほんと働かないわけですよ。みんな目を吊り上げて必死になって一輪車を転がしている時に、一茂だけはちんたらやっている。

おまけに「タカシ、お前は何をそんなに夢中になってるの」なんてのんきなことを言うもんだから、こっちもカチンときて、「お前こそ何やってるんだ!」ってケンカが始まる。いつもそんな感じでした。

同期はもちろん、上級生もなんとなく一茂に気後れしてるところがあったんです。遠慮してるっていうのか。それはもちろん、第一に彼が長嶋茂雄の息子だから。一茂はそれに気づいてたかどうか知らないけど。

僕はそういう雰囲気がすごく嫌いだった。誰の息子だろうが、そんなの関係ない。同じ一年生じゃんって。別に一茂が特別扱いされてたっていうわけじゃないんだけど、とにかくいつもこっちが何かそうやってケンカをふっかけないといけないような状況を作ってくれるんですよね、彼は。

僕らは彼のことレッドキングって呼んでたんだけど、なぜだかわかります?一茂はちょうどあの怪獣みたいな体格だったんです。頭が小さくて、首が異様に太くて。腕は丸太のようだし、素手がグラブなみに大きいし。

彼が本気で殴ったら、人は死にますからね。だから本音をいうとちょっと怖かった。本質的には優しい人間なんで、どんなに怒っても僕を殺すことはないだろうと。それだけを信じてケンカしてましたね。

と、語っています。

大学4年間でプロで通用する選手になるため雑用をしている時間が惜しかった

一方、一茂さんはというと、表面的には、監督や先輩の言うことを、ハイ、ハイと聞いていたつもりだったそうですが、

心のどこかでは、お父さんの長嶋茂雄さんと彼らをいつも比較していたそうで、(生意気ながら)「自分がなりたいのは親父のような野球選手であって、あなたたちではない」と思っていたそうです。

ただ、これには理由があり、野球を再開した高校1年生の時にはほとんど素人同然だったため、何としてでも大学の4年間でプロで通用する実力を身につける必要があったことから、とにかく時間がなく、自分に必要なこと以外は何もしたくなかったからだそうで、

一茂さんは、

だから先輩たちに面と向かって逆らうことはなかったけれど、とにかくスキあらば雑用はサボることにしていたのだ。俺は雑用するために大学に入ったわけじゃない。口にこそ出さなかったけれど、心の中ではそう思っていた。やっぱりそういう気持ちは、どこか態度に表れるだろう。

と、語っています。

実際、一茂さんの後輩で元プロ野球選手の矢作公一さんも、

もっとも俺だって一茂さんの手のひらを見なければ、そんなこと気がつかなかったと思います。練習が休みになると、みんな自宅に帰るんです。毎日のように練習に明け暮れているわけですから、誰だってそういう時は羽を伸ばす。

家で骨休みして、うまいものを食わせてもらったりすれば、みんな若いからすぐ顔に出る。ふっくらと太って、血色が良くなってね。だけど、一茂さんだけはむしろ、引き締まって帰ってくる。何気なく手のひらをみたら、もうボロボロになってるんです。

と、一茂さんが人知れず練習をしていたことを証言しています。

(この頃、一茂さんは、自宅の地下室にある野球の特訓場で、何百球もティーバッティングをするなど、父親の長嶋茂雄さんから特訓を受けていたそうです)

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大学進学後も野球に専念するため勉強はしたくなかった

そんな一茂さんの野球に賭ける思いは徹底しており、大学進学後も、大学に入ったのはあくまでも野球をするためで、勉強が目的ではないと公言してはばからなかったそうで、

単位を取らなければ、卒業できないだろうと心配してくれる友人もいたそうですが、一茂さんは意に介さず、どうしても単位が取れなければカンニングするまでだと、うそぶいていたそうです。

そして、(本当にカンニングしていたかどうかは不明ですが)試験で一度もつまずいたことはなかったそうで、とても要領が良かったそうです。

「長嶋一茂は立教大学進学後メキメキと頭角を現していた!」に続く

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