高校から野球を再開するも、ピッチング練習中、右肘を剥離骨折するという大ケガを負ってしまった、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、その後は、ピッチャーを断念し、バッターに専念することにしたといいます。
「長嶋一茂は高校時代に右肘を剥離骨折し医師に野球を辞めるよう言われていた!」からの続き
ピッチャーを断念しバッターに専念
ピッチング練習中に右肘を剥離骨折した一茂さんは、ケガから回復後も、右肘の痛みをだましだましピッチング練習をしていたそうですが、ほどなく、ピッチャーを断念し、本格的にバッターに専念したそうで、
スイングスピードを作るため、バットを振る筋肉をつけようとひたすら素振りの練習に励み、毎晩、夢中になって素振りをしたそうです。
(バッターにはいろいろなタイプがあるものの、どうせなら日本に存在しない大リーガータイプのホームランバッターを目指そうと思ったそうで、そのためには、飛距離を出さなければならず、飛距離を出すためには、スイングスピードが重要だと思ったそうです)
ボールを遠くへ飛ばすためウエイトトレーニングに励んでいた
また、遠くへボールを飛ばすための筋力を積極的につけようと、この頃からウエイトトレーニングもするようになったそうで、(みんなと同じことをするのが嫌いだったため)昼間のランニングをさぼり、深夜、ウエイトトレーニングに励んだそうです。
(当時、高校野球のトレーニングは、とにかく、走る、投げるで、ウエイトトレーニングをする人はまだほとんどおらず、ウエイトトレーニングを教えてくれる人もいなかったため、基本的には独学だったそうですが、あえて誰もやっていないことをやることが好きだったため、だからこそ、夢中になれたということもあったそうです)
文化祭の練習試合では素人のようなミスをしていた
そんな一茂さんは、高校1年生の秋頃には、なんとか右肘のケガも癒え、(守備はレフトに転向)やっと試合にも出られるようになったそうですが、
文化祭で行われた野球部の練習試合では、まるで素人のような無様なバンザイでレフトフライを捕り損ねたことがあったそうで、点々と転がるボールを走って追いかける、とても恥ずかしい思いをしたそうです。
(バッターが打った瞬間、白い球がチラッと小さく見えると、次の瞬間にはグワッと目の前に迫っていたそうで、ライナーだと思って飛び出したそうですが、(打球との距離感がつかめず)打球は予想よりもグンと伸び、バンザイしてしまったそうで、一茂さんは、この時のボールの白さが今でも忘れられないそうです)
「長嶋一茂の高校時代は技術不足も潜在能力を高く評価されていた!」に続く