高校2年生の秋には、チームの主軸になるまでに成長し、高校3年生の夏には、甲子園を目指して埼玉県予選準決勝まで進んだ、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、実は、野球を再開した高校生の時からプロ野球に入るまで、ずっと、「サボりの天才」「サボり屋」などと陰口を叩かれていたといいます。

「長嶋一茂は高2で主軸になるも甲子園の夢は果たせなかった!」からの続き

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「サボりの天才」「サボり屋」と呼ばれていたが・・・

一茂さんは、野球を再開した高校1年生の時からプロ野球に入るまで、ずっと、「サボりの天才」「サボり屋」などと陰口を叩かれていたそうです。

というのも、一茂さんは、真面目一直線の高校球児ではなかったそうで、球拾いをしているふりをして近所のアパートの涼しい軒下で昼寝をしたり、こっそりジュースを買いに行くのは当たり前だったのだそうです。

また、「言い訳の天才」でもあったそうで、ジュースを買いに行く時には、先輩に見つかった時に「ボールを探しに行っていた」と言い訳するため、必ずポケットにボール一つをしのばせていたのだそうです。

(面倒なことはサボれる限りサボったそうですが、一度も見つかったことはなかったそうで、要領も良かったそうです)

夜の影練(影で練習)に励んでいた

ただ、サボるのは、先輩から押し付けられた、無意味に思える練習や掃除洗濯の類だけで、ボール磨きやスパイク磨きは、いつも黙々とこなすほか、

自身で課した練習やトレーニングメニューについては、一度もサボったことはなく、寮生たちが夜寝静まった後、寮の屋上で夜更けまで素振りをしていたそうです。

(寮の屋上から、ブンッ、ブンッと空を切る規則的な音は、夜更けまで止むことはなく、一茂さんが高校を卒業するまでの3年間、毎晩のように響いていたそうです)

練習中に水を飲んではいけない決まりを破り自販機にジュースを買いに行っていた

そんな一茂さんのスタンスは大学入学後も変わらず(むしろ、その傾向は強くなっていったそうです)、野球部の練習には出ていたものの、興味のないことはうまく手を抜いていたそうで、

昔の運動部の鉄則だった「練習中に水を一切飲んではいけない」という決まりも破り、こっそり自動販売機へジュースを買いに走っていたそうです。

(現在は、水を大量に失ったまま補給せずにいるのは、脱水症状を起こす可能性があるため非常に危険とされていますが、昔の運動部では、滝のように汗をかこうが、喉が渇いて気管がひっつきそうになろうが、練習中は一切水を飲んではならず、飲むどころか、口に水を含むことすらタブーとされていました)

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合理性よりも上下関係が重視される社会に反発していた

というのも、一説によると、旧日本陸軍の訓練に由来し、マラリアなどの伝染病が猛威をふるっていた地域で行軍中に生水を飲むのは自殺行為だったため、普段から運動中に水を補給しないように訓練していたそうですが、

昔から決まっているから、先輩もそうだったから、という理由だけで、誰も異議を唱えず、この習慣が続いていることに、一茂さんは反発したのだそうです。

(運動部は、合理性よりも上下関係が重視される社会で、先輩や指導者には絶対服従、理不尽なしごきにも文句一つ言わずひたすら耐え抜くのが良いスポーツ選手、ということになっていたそうですが、一茂さんは、そういう意味での良いスポーツ選手になりたいとは、ほんの一瞬たりとも思ったことがなかったそうです)

「長嶋一茂は高校大学時代は全体練習をサボるも自主トレに励んでいた!」に続く

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