お父さんの長嶋茂雄さんが巨人軍の監督を解任され、巨人軍への復讐心から野球を再開する決意をしたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、高校入学後、さっそく野球部に入部すると、地肩の強さを認められピッチング練習を始めたそうですが・・・いきなり、右肘を剥離骨折するというアクシデントに見舞われたといいます。

「長嶋一茂は長嶋茂雄を解任した巨人軍への復讐心から野球を再開していた!」からの続き

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高校の野球部では地肩の強さを見込まれピッチング練習を始めるも・・・

一茂さんは、お父さんの長嶋茂雄さんと同じ立教大学で野球をやりたいとの思いから、立教高等学校(現・立教新座高等学校)に進学し、野球部に入部したそうですが、ずっと野球をやっていなかったため、当初は、キャッチボールもできなかったそうです。

(そもそも、ボールの扱いがなっておらず、周囲の野球部員が朝飯前でできる簡単なことが、一茂さんには難しかったそうです)

それでも、監督に地肩の強さを見込まれ、ピッチング練習を始めると、どうしたら自分の身体が速いボールを投げるように機能するか、そればかりを考えていたそうですが・・・

高1の時に右肘を剥離骨折し医師に野球を辞めるよう言われていた

ある日のこと、ピッチング練習をしていた時、突然、バチンッという骨の破片か何かが飛んだような音がしたそうで、おかしいなと思いながら、キャッチャーから戻ってきたボールをつかんで投げようとしたそうですが、腕がしびれていてボールをつかめず、そのボールはポトンと落ちたそうです。

そこで、医師の診察を受けると、右肘の関節の間で剥離骨折が起き、関節の間に骨の破片が入ってしまっていたそうで、医者からは、もう、野球そのものを続けることが無理だと言われてしまったのだそうです。

(実は、一茂さんは、リトルリーグ時代、カーブやシュートの変化球を投げ過ぎて右肘に炎症を起こしたことがあったそうで、もともと、右肘に爆弾を抱えていたのだそうです)

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野球を辞めるつもりはなかった

それでも、一茂さんは野球を辞めようとは思わなかったそうで、(何の根拠もなかったそうですが)必ずこのケガを克服していつか4番バッターになれると確信し、高校1年生の夏休みは、ギプスをしたまま球拾いをしたそうですが、

ネガティブな感情(父親を解任した巨人軍への復讐心)は、最初どんなに強くてもすぐに消えてしまい、結局は、好きでなければ続けられないことを、この時の経験(右肘の剥離骨折)で知ったそうです。

(ちなみに、この時故障した肘は完治せず、今でも肘を完全に曲げることはできないそうです)

「長嶋一茂は右肘剥離骨折後は投手から野手に転向していた!」に続く

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