趣味の極真空手が黒帯を持つ腕前だという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、極真空手を始めたきっかけは「パニック障害」を克服するためだったといいます。
「長嶋一茂のミドルネームは?ハーフ?」からの続き
極真空手を始めたのは「パニック障害」を克服するためだった
趣味の一つである極真空手は、黒帯の腕前という一茂さんですが、実は、一茂さんは、プロ野球選手の時から「パニック障害」を患っていたそうで、
自分が弱いから、パニック障害になんかなったのだ
自分は気が弱いから、気合が足りないから、こんな病気になっているんだ。だから、自分は、空手の気合で治すんだ
(実際に素手で互いを打ち合うため、少し怖い部分があったものの)ここの門をくぐれなかったらパニックなんかとても克服できるわけがない
などと、思いつめ、
ついに、プロ野球を引退した翌年の1997年12月(30歳)、「パニック障害」を克服するため、「極真会館」(東京城西世田谷東支部)の門を叩いたのだそうです。
子供の頃から空手家の大山倍達に憧れていた
ちなみに、一茂さんは、当時、まだ30歳で、身体(内蔵や筋肉)は元気だったことから、「極真会館」への入門を決意したそうですが、
実は、子供の頃から、空手家・大山倍達(おおやま ますたつ)氏に憧れており、野球をやるか空手をやるかで悩んだこともあるほどだったそうで、
そのため、青い刺しゅうの入った道着が着られるということも、純粋にうれしかったそうです。
「極真空手」入門してからは寝ても覚めても空手の練習ばかりしていた
そんな一茂さんは、その後、しばらくは、空手三昧の日々が続き、(仕事以外は)寝ても覚めても空手の練習ばかりしていたそうで、家にいても、空手の本をめくっては自主トレをしていたそうですが、
大山(倍達)総裁の言葉「技は力の中にあり」(「基礎的な力があってこそ技が生きる。(力の無い小手先の)技だけでは相手を封じ込めることは出来ない」という意味)に感銘を受け、プロ野球選手の時にやっていたウエイトトレーニングも再開していたそうです。
(空手に夢中になっている間は、不思議と自分がパニック障害であることを忘れることができたそうです)
「パニック障害」で風呂にも入れなかった
ちなみに、「パニック障害」は、突然、理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作(パニック発作)が起こり、自分ではコントロールできないことから、
「また発作が起きたらどうしよう」と不安になり、電車、エレベーター、飛行機など、逃げることのできない、閉じられた空間が怖くなるそうですが、実際、一茂さんも、呼吸困難に襲われるほか、飛行機に乗れない、お風呂に入れないなどの症状があったそうです。
また、パニック障害の原因について、一茂さんは、「自分が弱いから、パニック障害になんかなったのだ」と思い詰めていたそうですが、
(かつては、ストレス性の不安症や神経症、または、心の病気だと言われていたそうです)
最近の研究では、これは大きな勘違いであり、「気合」とは無関係で、脳内神経伝達物質(脳内ホルモン)のバランスの乱れが原因だと考えられているそうです。
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