小学5年生の時、近所のお兄ちゃんに誘われ、町内の野球の試合に出ると、初打席でいきなり二塁打を放ち、野球に興味を持ったという、張本勲(はりもと いさお)さんは、中学生の時、巨人軍(読売ジャイアンツ)の選手たちを追いかけて、選手たちが宿泊していた日本旅館に行った際、選手たちが大きなステーキと真っ白なご飯を食べ、札束で分厚くなった財布を出して金銭のやり取りをしているのを見て、野球選手になる決意をしたといいます。
「張本勲は少年時代に初打席で二塁打を放っていた!」からの続き
中学では水泳部がなく仕方なく野球部に入部していた
小学5年生の時、誘われて町内の野球の試合に出ると、初打席でいきなり二塁打を放ち、このことをきっかけに野球に興味を持つようになったという張本さんですが、
小学生の時は、まだ、野球よりも水泳の方が得意だったそうで、中学入学後も、水泳部に入ろうと思っていたそうですが、進学した広島市立段原中学校には水泳部がなかったそうで、
がっかりしていると、お兄さんから、(張本さんのあり余ったエネルギーが良くない方向に向くことを心配してか)スポーツは何かやったほうがいい、と強く勧められらことから、仕方なく、水泳の次に好きだった野球部に入ることにしたのだそうです。
(段原中学校の野球部は、高田さんというエースがいて、県内でも強豪チームの一つだったそうです。また、ライバル校は観音中学校や翠町中学校で、観音中学校には、後にプロ野球のセ・リーグで審判部長を務める山本文男さん、翠町中学校には、後に広島カープの4番打者として活躍する山本一義さんがいたそうです)
中学生の時にはしばしば観音球場(広島県総合グランド野球場)にプロ野球の試合を観に行っていた
そんな張本さんは、広島カープの本拠地だった観音球場(広島県総合グランド野球場)で行われるプロ野球の試合を、よく友達みんなで一緒に観に行っていたそうですが、
チケットを買うお金がなかったことから、みんなで外野の塀をよじ登り、球場内に潜り込んではタダで観戦し、間近で見るプロの選手たちのプレーに魅了されつつ、ワクワクしたそうです。
(特に、川上哲治さん(巨人)、青田昇さん(巨人)、藤村富美男さん(阪神)ら、錚々(そうそう)たる選手たちの姿に圧倒されたそうです)
巨人の選手たちがご馳走を食べ分厚い財布からお金を取り出しているのを見て野球選手になる決意をしていた
そして、試合が終わると、選手たちが出てくるところで待ち構えては、憧れの選手のユニフォームに触れたりするなどして喜んでいたそうですが、
ある時、巨人軍(読売ジャイアンツ)の選手たちを追いかけて、選手たちが宿泊していた日本旅館まで行き、塀をよじ登り、中の様子を伺うと、ちょうど食堂が見え、そこで選手たちはみな、大きなステーキと真っ白なご飯をガバガバと食べていたそうで、自分たちは苦しい生活なのにと、この光景に大きなショックを受けたそうです。
そして、やがては、選手たちがお財布を出してお金のやり取りをしているのが見えたそうですが、分厚いお財布から何枚ものお札が出てきたそうで、
(それが何のお金だったかは分からなかったそうですが)
張本さんは、目が釘付けになり、
プロ野球選手というのはこんなうまいものを食って、こんなお金持ちになれるのか
おれも絶対にプロ野球選手になってやろう!
と、心に決めたのだそうです。