高校3年生の時には、京都大会決勝の平安高校戦で敗退し、最後の夏が終わってしまったという、吉田義男(よしだ よしお)さんは、進路を考え始める時期、阪急の西村正夫助監督にスカウトされたそうですが、到底プロで通用するとは思えず、辞退していたといいます。

「吉田義男は高3の時には主将&4番も向いていないと思っていた!」からの続き

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阪急の西村正夫助監督からスカウトされるもプロで通用するとは思えず断っていた

吉田さんは、進路を考え始める時期になると、阪急の西村正夫助監督が山城高校まで来校し、「阪急の二軍へ来ないか」と勧められたそうで、体育館で伊達野球部長と一緒に話を聞いたそうですが、

(当時の、南海、阪急は、ファームでの若手育成に力を入れ始めていたそうです)

身長165センチと小柄な自分が、プロでやっていけるとはとても思えなかったほか、父親代わりをしてくれていた2つ上のお兄さんが大学進学を許してくれていたことから、条件提示を受ける前に辞退したそうです。

(もちろん、プロへの憧れはあったそうですが、いきなり自分がプロ野球選手というイメージが湧かず、また、当時は、東京六大学野球を中心とする大学野球の全盛期で、人気も実力もプロ野球に迫っていたため、大学野球への興味も少なからずあったのだそうです)

身長156センチの阪急・浜崎真二監督に「あんなチビはいらん」と言われていた?

そんな吉田さんは、後に、阪急の入団テストを受けて落とされたという噂が流れたことがあったそうで、当時、阪急の監督だった、身長156センチの浜崎真二さんが「あんなチビはいらん」と言ったというエピソードも付け加えられ、さもありそうな話になっていたそうですが、

(浜崎さんは、現役時代も阪急に在籍していたそうですが、日本プロ野球史上、最も背の低い選手とされています)

1963年、浜崎さんが国鉄(現在のヤクルト)の監督となった時、吉田さんが、「僕の方が背は高いですよ」と迫ったことがあったそうです。(吉田さんの身長は165センチ)

すると、浜崎さんは、チビ発言をあえて否定せず、笑っていたそうで、吉田さんは、(毒舌だが、愉快な人だったため)浜崎さんは、このチビ発言を話題を集めるための「伝説」として残しておきたかったのではないかと考えているのだそうです。

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獺口明監督の口利きで同志社大学への進学が決まるも・・・

さておき、進学先に同志社大学を希望していた吉田さんは、入学セレクションは受けず、獺口(おそぐち)明監督と直接会って入部の内諾を得て、同志社大学進学が決まったそうで、同志社大学の岩倉グラウンドへ3日間通って練習していたそうですが・・・

(同志社大のセレクションを受けて合格したという話も)

「吉田義男は立命館大学に授業料免除の条件で進学していた!」に続く

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