1956年に阪急ブレーブスに入団すると、阪急19年、阪神2年、近鉄1年で、通算350勝(日本プロ野球歴代2位)するほか、262完投、64完封、防御率2.91という凄まじい記録を残し、2000年には野球殿堂入りを果たした、米田哲也(よねだ てつや)さん。今回は、そんな米田さんの現役時代の凄すぎる成績をご紹介します。
「米田哲也は近鉄で350勝を達成するも僅か11日後に現役引退していた!」からの続き
プロ野球選手(現役)時代の投手成績
それではここで、米田さんの現役時代の投手成績をご紹介しましょう。
- 1956年(阪急ブレーブス)
9勝15敗0セーブ 167奪三振 防御率2.38(登板51 完投6 完封4 無四球0 投球回204.0) - 1957年(阪急ブレーブス)
21勝16敗0セーブ 268奪三振 防御率1.86(登板50 完投17 完封4 無四球1 投球回299.2) - 1958年(阪急ブレーブス)
23勝13敗0セーブ 268奪三振 防御率2.12(登板45 完投25 完封11 無四球3 投球回305.2)で、(最多完投・最多完封) - 1959年(阪急ブレーブス)
18勝24敗0セーブ 247奪三振 防御率2.11(登板52 完投20 完封5 無四球1 投球回331.1) - 1960年(阪急ブレーブス)
22勝16敗0セーブ 213奪三振 防御率2.73 登板51 完投20 完封4 無四球1 投球回306.2) - 1961年(阪急ブレーブス)
16勝22敗0セーブ 188奪三振 防御率3.55(登板56 完投12 完封1 無四球3 投球回275.2) - 1962年(阪急ブレーブス)
20勝17敗0セーブ 231奪三振 防御率3.23(登板52 完投10 完封1 無四球2 投球回261.2)で、最多奪三振 - 1963年(阪急ブレーブス)
14勝23敗0セーブ 177奪三振 防御率4.00(登板53 完投8 完封1 無四球0 投球回262.1) - 1964年(阪急ブレーブス)
21勝16敗0セーブ 180奪三振 防御率2.53(登板60 完投14 完封4 無四球2 投球回319.2) - 1965年(阪急ブレーブス)
20勝17敗0セーブ 139奪三振 防御率3.00(登板50 完投13 完封5 無四球1 投球回276.0) - 1966年(阪急ブレーブス)
25勝17敗0セーブ 184奪三振 防御率3.19(登板55 完投18 完封2 無四球2 投球回310.0)で、最多勝(最多投球回) - 1967年(阪急ブレーブス)
18勝15敗0セーブ 189奪三振 防御率2.75(登板46 完投14 完封4 無四球2 投球回280.2) - 1968年(阪急ブレーブス)
29勝13敗0セーブ 237奪三振 防御率2.79(登板63 完投22 完封6 無四球1 投球回348.2) - 1969年(阪急ブレーブス)
14勝16敗0セーブ 135奪三振 防御率2.95(登板46 完投17 完封3 無四球2 投球回253.1) - 1970年(阪急ブレーブス)
16勝13敗0セーブ 127奪三振 防御率3.57(登板41 完投12 完封2 無四球1 投球回236.2) - 1971年(阪急ブレーブス)
14勝4敗0セーブ 79奪三振 防御率3.73(登板31 完投12 完封2 無四球0 投球回181.0) - 1972年(阪急ブレーブス)
10勝7敗0セーブ 81奪三振 防御率3.23(登板29 完投5 完封0 無四球0 投球回155.2) - 1973年(阪急ブレーブス)
15勝3敗0セーブ 103奪三振 防御率2.47(登板32 完投11 完封3 無四球0 投球回175.1)で、最優秀防御率 - 1974年(阪急ブレーブス)
11勝8敗1セーブ 68奪三振 防御率4.26(登板31 完投2 完封0 無四球0 投球回130.2) - 1975年(阪急ブレーブス)
2勝3敗0セーブ 13奪三振 防御率3.15(登板8 完投2 完封1 無四球0 投球回39.2) - 1975年(阪神タイガース)
8勝3敗1セーブ 55奪三振 防御率2.27(登板22 完投2 完封1 無四球0 投球回106.2) - 1976年(阪神タイガース)
2勝2敗0セーブ 17奪三振 防御率4.50(登板13 完投0 完封0 無四球0 投球回30.0) - 1977年(近鉄バッファローズ)
2勝2敗0セーブ 22奪三振 防御率4.62(登板12 完投0 完封0 無四球0 投球回39.0)
と、現役生活22年(阪急ブレーブス、阪神タイガース、近鉄バッファローズ)で、通算949登板 350勝285敗 3388奪三振 防御率2.91(完投262 完封64 無四球22)という凄まじい成績を残しています。
タイトルは最多勝利1回、最多奪三振1回、最優秀防御率1回
そんな米田さんは、
- 最多奪三振1回(1962年)※当時連盟表彰なし。パシフィック・リーグでは、1989年より表彰。
- 最多勝利1回(1966年)
- 最優秀防御率1回(1973年)
のタイトルを獲得しています。
シーズン最多完封勝利ほか記録多数
さらに、米田さんは、
- 19年連続二桁勝利(1957-1975年)※プロ野球記録
- 通算626試合先発登板 ※プロ野球記録
- 通算914試合登板 ※パ・リーグ記録
- 通算605試合先発登板 ※パ・リーグ記録
- 通算340勝 ※パ・リーグ記録
- 通算4993.1投球回 ※パ・リーグ記録
- 通算3316奪三振 ※パ・リーグ記録
- シーズン11完封勝利(1958年)※パ・リーグ記録
- シーズン20勝以上8回(1957年、1958年、1960年、1962年、1964-1966年、1968年)※パ・リーグ記録
- 3試合連続完封勝利2回 (1964年6月5日-13日、1965年5月1日 -9日)
- オールスターゲーム出場14回(1956年、1958-1960年、1962 -1964年、1966-1971年、1973年)
と、凄まじい記録を残しています。
また、
- 通算4561被安打 ※プロ野球記録
- 通算120故意四球(敬遠) ※プロ野球記録
- 通算1940失点 ※プロ野球記録
- 通算1659自責点 ※プロ野球記録
- 通算280敗 ※パ・リーグ記録
- 通算4433被安打 ※パ・リーグ記録
- 通算1430与四球 ※パ・リーグ記録
- 通算23ボーク ※パ・リーグ記録
- 通算1895失点 ※パ・リーグ記録
- 通算1617自責点 ※パ・リーグ記録
と、逆の記録も凄まじい数字を残しています。
野球殿堂競技者表彰、MVPなどの表彰も
そして、
- 最優秀選手(MVP)1回(1968年)
- パ・リーグプレーオフ優秀投手賞1回(1973年)
- 野球殿堂競技者表彰(2000年)
などの賞も受賞しています。
背番号
ちなみに、米田さんの背番号ですが、阪急ブレーブス時代は、入団の決め手となったエースナンバーの「18」をずっと背負っているのですが、以降、移籍後は、下記のように変遷しています。
- 18(阪急ブレーブス 1956-1975年)
- 38(阪急ブレーブス 1975年途中-同年終了)
- 21(阪神タイガース 1976年)
- 11(近鉄バッファローズ 1977年)
- 83(阪神タイガース 1985-1986年)
- 88(オリックス・ブルーウェーブ 1992-1993年)
- 77(近鉄バファローズ 1995年)
「米田哲也は西本幸雄の推薦で阪神の一軍投手コーチに就任していた!」に続く