1969年、試合中に腰を痛めたことで成績を残せず、解雇された、ジーン・バッキー(gene bacque)さんは、そのまま引退しアメリカに帰国すると、教師をする傍ら、牧場を経営していたそうですが、2014年には、日本時代に受けた椎間板ヘルニアの手術箇所が痛みだし、長距離の歩行が困難になるなど、体が不自由になっていたといいます。

「ジーン・バッキーの現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!」からの続き

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アメリカ帰国後は小学校・中学校で教師をするかたわら牧場も経営

バッキーさんは、アメリカ帰国後は、故郷・ルイジアナ州ラファイエットに住み、小学校や中学校で教師をしていたそうですが、

そのかたわら、1971年からは、タイガース時代に蓄えたお金で牧場(多い時で60頭くらい牛がいたそうです)の経営にも携わり、学校が終わってから牛の世話をするなど、現役引退してからも休みなく働いていたそうです。

(サウスウエスタン・ルイジアナ大学で教師の資格を取っていたそうで、中学は25年勤め、ガソリンエンジンの構造を教えるほか、木工や皮細工なども教えていたそうです)

1983年には阪神対巨人OB戦のため来日

一方、バッキーさんは、日本の野球界を愛し、特に阪神をこよなく愛していたそうで、その後も、仕事の関係でたびたび日本を訪れ、1983年の阪神対巨人OB戦(甲子園)の時も来日していたそうですが、

乱闘騒動の発端となった王貞治さんや荒川博さんとも遺恨はなく、試合後、記者から乱闘騒動について尋ねられた際には、「ミンナ、トモダチ」と言って笑っていたそうです。

(試合では、王さんと対決するも、全くストライクが入らず、ストレートの四球を与えたそうです。また、バッキーさんは内野安打で一塁に出塁し、一塁手の王さんと握手を交わしたそうです)

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長距離歩行が難しくなっていた

そんなバッキーさんは、教師を退職した後は牧場経営に専念していたそうですが、2011年に妻のドリスさんが他界されると、牧場を息子さんに任せてラファイエットで引退生活に入ったそうです。

ただ、2014年頃には、日本時代に受けた椎間板ヘルニアの手術箇所が痛み出し、さらには、股関節置換手術を2度も受けたことから、長い距離の歩行が難しくなるなど、体が不自由になったそうです。

また、2018年4月には、膀胱ガンの手術も受けていたそうですが、同年5月には、親交があった通信員の丹羽政善さんに、

手術は無事成功して、ガン細胞はすべて取り除いた。生体組織検査も異常はない!

と、元気になったことをメールで伝えていたそうです。

(それでも、バッキーさんは、母校の大学の試合があると車を運転して応援に駆けつけるほか、車ではどこにでも出かけて行き、iPadやスマートフォンを愛用してフェイスブックもするなどアクティブに活動していたそうです)

「ジーン・バッキーは晩年ランディ・メッセンジャーと親交を持っていた!」に続く

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