1961年、川上哲治新監督のもと行われたドジャースとの合同キャンプで、少ない得点を守り抜くという緻密な野球を身につけたという、森祇晶(もり まさあき)さんは、さっそくペナントレースに活かすと、この年、巨人はリーグ優勝&日本一となっているのですが、ある試合で、ベンチから1球1球、投手にサインが出されていたことを知り、腹が立って、翌朝、川上監督の家に押しかけて食って掛かると、なんと、川上監督には頭を下げられ、以来、バッテリーのことはすべて任せられたといいます。
「森祇晶はドジャースとの合同キャンプで緻密な野球を身につけていた!」からの続き
1961年の巨人のリーグ優勝&日本一に貢献
1961年には、川上哲治新監督のもと、ドジャースとの合同キャンプが行われると、そこで緻密な野球を身に着けたという森さんは、中村稔投手や伊藤芳明投手、9月に急遽入団した村瀬広基投手ら若手を引っ張ったそうで、
(エースの藤田元司投手や堀本律雄投手は肩の故障で本来の活躍が出来なかったそうです)
結果、過去4年間で3勝しか挙げられなかった中村投手は17勝、伊藤投手も13勝を挙げる活躍をし、巨人は2年振りのリーグ優勝、日本シリーズでも、南海ホークスを下して6年振りの日本一に輝いています。
南海との日本シリーズ中には川上哲治監督に雨で水浸しになった多摩川練習場で打撃練習をさせられていた
ちなみに、南海との日本シリーズでは、2勝1敗で迎えた第4戦が雨で中止になっているのですが、その際、森さんは休みになるだろうと思っていたそうですが、川上監督には、全員、多摩川の練習場に集合させられ、(グラウンドは水浸しで練習ができるような状態ではなかったそうですが)外野の芝生の所に打撃ケージを持ってこさせられて、水浸しの内野に向かって打撃練習をさせられたそうで、
(濡れたボールは、炭火を焚いた鉄板の上で乾かし、繰り返し使ったそうです)
森さんは、そんな川上さんのことを、
「自分たちはこれだけのことをやった。負けるはずがない」という気持ちを持たせたかったのだろう。そのシリーズは4勝2敗で日本一になった。
と、語っています。
川上哲治監督に食って掛かると頭を下げられ、以来一切注文をつけられなかった
ところで、森さんは、ある試合で、投手とどうしてもサインが合わず、おかしいなと思っていると、ベンチのあるコーチから1球1球、投手に向けてサインが出ていたことがあったそうで、
結果、試合はサヨナラ負けし、腹が立った森さんは、翌朝、川上さんの家に押しかけ、
あれでは誰が捕手をやっても同じじゃないですか
と、食ってかかったそうですが、
川上監督には、
悪いことをした。本当に申し訳ない。金輪際、バッテリーのことはすべて任せる
と、頭を下げられたそうで、
以来、一切、川上監督からは注文をつけられることはなかったそうです。
(その日の試合では完封勝ちしたそうです)