中日の監督に就任して3年目の2006年10月10日、2年ぶりのリーグ優勝を果たした、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、2007年は、連覇を逃し、2位に終わるのですが、クライマックスシリーズで阪神と巨人に全勝して日本シリーズに進出すると、日本シリーズでもそままの勢いで、日本ハムを4勝1敗で下し、見事、日本一に輝きます。

「落合博満は監督3年目の2006年も中日をリーグ優勝に導いていた!」からの続き

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小笠原慎之介、川上憲伸、タイロン・ウッズ、福留孝介の活躍で前半戦は首位で折り返すも・・・

中日の監督に就任すると、1年目の2004年にはいきなり優勝、2年目の2005年は2位、3年目の2006年には再び優勝した落合さんは、2007年も、開幕のヤクルト3連戦に3連勝し、開幕7試合で6勝1敗と順調に滑り出すのですが、

開幕4カード目の阪神戦で2敗1分を喫すると、以降、徐々に貯金を減らして、4月26日の広島戦から落合政権では初の6連敗を喫し、5月2日には3年ぶりとなる借金を背負います。

それでも、その後、小笠原投手、川上憲伸投手、タイロン・ウッズ選手、福留孝介選手らの活躍で、前半戦終了時には首位に返り咲くのですが・・・

後半戦は主力打者・福留孝介がケガで戦線離脱しシーズン中の復帰が絶望的となる

後半戦は、いきなり4連敗でのスタートとなると、その後も、なかなか貯金を増やせません。

そんな中、7月には主力打者の福留孝介さんに右肘遊離軟骨が発覚し、シーズン中の復帰が絶望的となってしまいます。

(福留さんは8月に渡米して手術)

ウエスタン・リーグ(2軍)から上がってきた堂上剛裕の活躍で再び首位に

しかし、ウエスタンリーグ(2軍)で打率が一時4割を超えるほど好調だった堂上剛裕選手が、7月27日からのヤクルト3連戦で、第1戦で一軍公式戦初安打・初打点を記録し、29日の第3戦ではプロ初本塁打を記録し、一軍に定着すると、

8月11日の巨人戦では、延長12回裏、姜建銘投手から、代打サヨナラ3ランホームランを放つ活躍で、チームは再び首位の座に返り咲きます。

最終的には巨人に振り切られ連覇を逃す

すると、8月末には、中盤まで不振だった阪神が、10連勝を含む怒涛の追い上げを見せ、巨人、中日、阪神が入れ代わり立ち代わり首位に立つ、三つ巴(どもえ)での優勝争いとなるのですが、阪神は、9月には8連敗し急降下。

その後は、中日と巨人の一騎打ちとなるのですが、中日は、9月24日からの巨人3連戦で、初戦は7対5で勝利して首位を奪回するも(マジック7を点灯)、残り2戦を連敗すると、そのまま巨人との差は縮まることなく2位に終わり、連覇を逃してしまったのでした。

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クライマックスシリーズで全勝し、日本シリーズでも日本ハムを下し日本一に輝いていた

しかし、中日は、この年から始まったクライマックスシリーズ第1ステージの阪神戦では、初戦7対0、2戦目も5対3と勝利すると、第2ステージの巨人3連戦も、初戦5対2、2戦目7対4、3戦目4対2と全勝し、日本シリーズ出場を果たすと、

日本シリーズでも、そのままの勢いで、日本ハムを4勝1敗で下し、見事、日本一に輝いたのでした。

(さらに、落合さんは、その後行われたアジアシリーズでもチームをアジアチャンピオンに導き、自身初かつ中日の監督・選手として初の正力松太郎賞を受賞しています)

「落合博満は監督7年目の2010年は中日を3度目のリーグ優勝に導いていた!」に続く


日本一となり胴上げされる落合さん。

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