2004年に中日監督に就任してから在任4年間で、1位、2位、1位、2位(日本一)と好成績を残した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、2008年は3位にに終わるも、オフに新たに中日と3年契約を結ぶと、2009年は2位も、2010年には、3度目となるリーグ優勝を果たしています。
「落合博満は監督4年目の2007年はリーグ2位も日本一になっていた!」からの続き
2008年は福留孝介のメジャー移籍と北京五輪による主力選手離脱で3位
2007年には、リーグ優勝は逃すもクライマックスシリーズ全勝で日本シリーズに進出し、日本シリーズでは日本ハムを下して中日を日本一に導いた落合さんですが、
2008年は、福留孝介選手がメジャー移籍、北京五輪で、川上憲伸投手、岩瀬仁紀投手、荒木雅博選手、野将彦選手ら主力選手が離脱したことが影響して貧打にあえぎ、チーム打率は2割5分3厘、チーム得点は535点と、いずれもリーグワーストの成績で、3位に終わり、
クライマックスシリーズも、第1ステージの阪神戦は2勝1敗と勝利するも、続く第2ステージの巨人戦は1勝3敗1分(リーグ優勝した巨人のアドバンテージ1勝を含む)で敗退してしまいます。
2009年は新外国人・ブランコの活躍も主力選手退団で首位巨人と12ゲーム差の2位
それでも、5年間の監督在任中、優勝2回、2位2回、3位1回、日本一1回と、好成績を残した落合さんは、2008年オフ、中日球団と新たに3年契約を結ぶのですが、
2009年(2008年オフ)には主力選手である、川上憲伸投手、タイロン・ウッズ選手、中村紀洋選手が退団するほか、開幕直後に谷繁元信捕手が故障で戦線離脱、新外国人のブランコ選手もまったく打てず、4月終了時点でチーム打率2割4厘と苦しいスタート。
5月に入ると、ブランコ選手が日本の野球に適合して打ち始め、7月16日には2位に浮上し、首位巨人に2.5ゲーム差にまで迫るのですが、
ゲーム差2.5で迎えた8月25日からの巨人3連戦で、チェン投手、川井雄太投手、吉見一起投手の3本柱を立てて臨むも、まさかの3連敗を喫すると、以降失速し、最終的には首位巨人と12ゲーム差をつけられて2位に終わってしまいます。
2010年はプロ野球新記録の5試合連続完封
しかし、中日監督就任7年目の2010年は、開幕からなかなか調子が上がらず、6月終了時点で貯金1、7月1日時点で首位巨人に8ゲーム差をつけられ3位だったのですが、
7月16日の広島3連戦、初戦を山井大介投手が完封、2戦目は中田賢投手が完封、3戦目はチェン投手が完封と3連続完封で3連勝すると、
7月19日の横浜戦も、岩田慎司投手が8回まで無失点で踏ん張り、リリーフの浅尾拓也投手、高橋宏斗投手が完封で抑え、4試合連続完封勝利。
さらに、7月20日の横浜戦も、1~5回をネルソン投手、6回を清水昭信投手、7回途中からは高橋宏斗投手、8回は浅尾拓也投手、9回は河原純一投手、延長10回は岩瀬仁紀投手、11回は平井正史投手が見事無失点に抑えると、延長11回裏1死一、二塁という場面で、和田一浩選手がセンターオーバーのサヨナラヒットを放ち、プロ野球新記録の5試合連続完封を達成します。
2010年は阪神、巨人と三つ巴となるも直接対決を勝ち越し、3度目のリーグ優勝
また、投手陣の活躍とともに、打線も、若手の堂上直倫選手と堂上剛裕選手の兄弟が台頭するほか、チーム4年ぶりの開幕スタメンとなった大島洋平選手がチーム最多の犠打に加え、抜群の守備力で幾度となくチームのピンチを救うなどの活躍を見せ、その後も快進撃を続けると、
(ちなみに、落合さんは、この年、6年連続ゴールデングラブ賞に選出された二塁・荒木雅博選手と遊撃・井端弘和選手(アライバコンビ)の二遊間を、そっくりそのまま入れ替えて臨むなど、大胆なコンバートも行っていました)
9月には、中日、巨人、阪神の三つ巴(どもえ)の戦いとなるも、ホームのナゴヤドームで、勝率7割5分(51勝17敗)と無類の強さを発揮して、阪神、巨人との直接対決をいずれも勝ち越し、3度目のリーグ優勝を果たしたのでした。
2010年の日本シリーズはロッテに2勝4敗1分で敗退
ただ、クライマックスシリーズでは、4勝1敗(リーグ優勝の中日のアドバンテージ1勝を含む)で巨人を下すも、日本シリーズは、パ・リーグで3位から勝ち上がってきたロッテに2勝3敗で王手をかけられると、第6戦は、延長15回、2対2の引き分け(日本シリーズ史上最長の5時間43分を記録)。
第7戦も、延長線にもつれ込み、前戦に次ぐシリーズ史上2番目の最長試合となると、7対7で迎えた延長12回、7対8で逆転され、2勝4敗1分で日本一は届きませんでした。
「落合博満は監督8年目の2011年は中日を4度目のリーグ優勝(連覇)に導いていた!」に続く