1976年春から1977年春までの法政大学の3連覇に大きく貢献した、江川卓(えがわ すぐる)さんは、4年生の1977年秋も大車輪の活躍で、法政大学の4連覇に大きく貢献しているのですが、六大学野球通算勝利数の48勝にあと1勝と迫ったところで、他の選手にも頑張って欲しいとの思いから、その後、チームがピンチにならない限り登板するつもりはなかったといいます。

法政大学時代の江川卓

「江川卓は法政大4年の秋に六大学通算15完封勝利の新記録を達成していた!」からの続き

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江川卓は早稲田戦は全て登板し、1回戦を完投、3回戦を完封していた

1976年春から1977年春までの法政大学の3連覇に大きく貢献した江川さんは、1977年秋も、立教1回戦で完封、慶応1回戦で完投、2回戦で11イニング、3回戦で完投、東大1回戦で延長14回完投と、大車輪の活躍をすると、大一番となる早稲田1回戦でも完投勝利、

早稲田2回戦では2番手で登板すると、延長10回表に決勝点を奪われ敗戦投手となるも、1勝1敗で迎えた早稲田3回戦では、完封(通算16度目の完封)し、六大学野球通算46勝目を挙げます。

(この試合で、江川さんは、打つ方でも、自身通算4本目となるホームランを含む4打数2安打という活躍をしています)

江川卓はは明治1回戦で完封勝利(通算17度目)し、法政の4連覇に王手をかけていた

そして、最終カードの明治1回戦では完封勝利(通算17度目)し、法政の4連覇に王手をかけているのですが、

(江川さんと鹿取義隆投手の投手戦となって、0対0のまま終盤へと進むと、7回裏に法政が一挙4点を奪い、4対0で法政が勝利しているのですが、江川さんが明治戦で完封したのは初めてでした)

いつもは顔色一つ変えず、淡々と投げていた江川さんも、この試合の9回表は、珍しく、気迫を前面に出して投げています。

(明治の島岡監督が「打倒江川」に執念を燃やしていたこともあり、江川さんは、法政での4年間で、これまで一度も明治から完封勝利を挙げておらず、「最も嫌な相手は明治」と語っていました)

江川卓は六大学野球通算48勝まであと1勝と迫るも、その後、登板するつもりはなかった

そんな江川さんは、この試合で通算47勝目を挙げ、法政の先輩である山中正竹投手の通算48勝にあと1勝と迫っているのですが、

試合後のインタビューで、

これで全て終わりました。他にも沢山良い投手は居ます。僕の勝ち星は、もう結構です

と、答え、報道陣を驚かせています。

(江川さんは、他の投手にも頑張って欲しいとの思いから、明治1回戦を自身の六大学でのラスト登板と心に決めていたのだそうです。ただ、2回戦で法政が負けたり、ピンチに陥った際には、登板するつもりでいたそうです)

ちなみに、江川さんが挙げた通算47勝のうち、17勝は完封勝利なのですが、この通算17完封は2023年現在いまだ破られていません。

江川卓は法政の4シーズン全て完全優勝(4連覇)に大きく貢献していた

さておき、法政は、明治2回戦では、鎗田投手が先発すると、明治の高橋投手との投手戦となり、0対0のまま8回表を迎えると、先頭の金光選手が死球で出塁し、犠打で1死2塁としたところで徳永選手が先制のタイムリーを放ち、1対0とリード。

すると、鎗田投手が最後までこの1点を守りきって1対0で完封勝利し、法政の1977年秋の優勝が決定。

この優勝で、法政は、4シーズン全て完全優勝(4連覇)、20カード連続勝ち点奪取という空前の大記録を樹立したのでした。

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江川卓の法政大学時代の成績が凄すぎる

ちなみに、江川さんの法政大学時代の通算成績(1974~1977年)ですが、

71試合登板で、51完投、17完封(史上1位)
47勝(史上2位)12敗
防御率1.16
443奪三振(史上2位)

と、凄まじい成績を残しています。

「江川卓は1977年ドラフトでクラウン(西武)に1位指名されるも入団拒否していた!」に続く

法政大学時代の江川卓

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