早慶戦への憧れから、「甲子園の土を踏めるほど野球が強く、かつ、早慶に進学できるくらいの学力を養える高校」を求めて、作新学院に進学した、江川卓(えがわ すぐる)さんは、高校1年生にして、夏には完全試合、秋には、4試合(30イニング)に登板して、2失点、37奪三振、防御率0.67という抜群の活躍で、栃木県予選大会で作新学院を優勝に導きます。

作新学院高校時代の江川卓

「江川卓が作新学院高校に進学したのは早慶戦への憧れからだった!」からの続き

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高校1年生の時に完全試合を達成

作新学院野球部に入部した江川さんは、1971年7月18日、高校1年生の時、「第53回全国大会栃木県予選」の2回戦、足尾高等学校戦で4回からリリーフで初登板すると、5イニングを無安打無走者(7奪三振・無四球)のパーフェクトに抑え、チームは10対0で圧勝。

同年7月22日、3回戦の足利大学附属高等学校戦では、先発で出場し、8回3安打無失点(6奪三振・1四球)の5対0で抑えると、9回は後続投手が抑え、チームは5対0で勝利。

そして、同年7月23日、準々決勝の烏山高等学校戦では、なんと、栃木県高校野球史上初の快挙となる完全試合を達成し(4対0で勝利)、

江川さんは、試合後のインタビューで、

完全試合達成の実感はまだわきません。別に記録を樹立しようと思って投げたわけでもない。9回を夢中で、ただ川中子さんのサイン通り投げただけ。気が付いたら試合が終わり、それがたまたま完全試合だった。だから別にうれしさもありません

と、語っています。

高校1年生の時には「第53回全国大会栃木県予選」準決勝の宇都宮商業高校戦で敗退するも・・・

ただ、準決勝の宇都宮商業高校戦では、延長10回まで力投するも、作新学院打線がなかなか点が取れず、延長11回無死で四球を与え、降板すると、後続投手が打たれ、3対5と敗退。

北関東予選進出とはなりませんでした。(8奪三振・4四球・自責3)

(当時は決勝まで進出した2チームが栃木の決勝進出の2チームと北関東予選を経て甲子園に進むことになっており、1県1代表ではありませんでした)

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高校1年生にして「秋季関東地区大会栃木県予選」で作新学院を優勝に導いていた

それでも、江川さんは、この年(1971年)の秋の「第24回秋季関東地区大会栃木県予選」では、

  • 初戦の足利工業高等学校戦では、8回に1死球を与えるも、ノーヒットノーラン
  • 準々決勝の大田原高等学校戦では、3回を無安打無四球(6奪三振)
  • 準決勝の宇都宮商業高等学校戦では、9回完投(7安打、2失点、12奪三振、7四球)
  • 決勝の宇都宮学園戦では、9回完封(3安打、11奪三振、2四球)

と、4試合(30イニング)に登板して、2失点、37奪三振、防御率0.67という素晴らしい成績で、作新学院を、見事、栃木県予選大会で優勝に導いたのでした。

「江川卓は高2のとき頭部死球を受けて意識不明となっていた!」に続く

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