1972年、高校2年生の夏の栃木県予選準決勝での投球が全国紙に取り上げられ、「怪物」と呼ばれるようになった、江川卓(えがわ すぐる)さんは、翌1973年、高校3年生の春の甲子園大会でも、北陽高等学校、小倉南高等学校、今治西高等学校の3試合で連続完封勝利するなど、凄まじい投球を見せます。

作新学院高校時代の江川卓

「江川卓は高2から「怪物」と呼ばれるようになっていた!」からの続き

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高校3年生の春の甲子園では江川卓のピッチングを見ようと満員の5万5千人の観客が詰めかけていた

1972年、高校2年生の時、「第25回秋季関東地区大会」では、強豪の東京農業大学第二高等学校、銚子商業高等学校に対して、2試合で15回2安打無失点33奪三振(奪三振率19.8)という圧倒的な投球をし、作新学院を翌年の春の選抜大会(「第45回選抜高校野球大会」)出場に導いた江川さんですが、

「第45回選抜高校野球大会」では、ひと目、江川さんの怪物ぶりを見ようと、甲子園球場には、満員の5万5千人の観客が詰めかけたそうで、江川さんがマウンドに上がり、ウォーミングアップの第1球を投げた瞬間には、あまりのボールの速さに、「ウォーッ」というどよめきに球場は包まれたそうです。

北陽高等学校、小倉南高等学校、今治西高等学校の3試合で完封勝利していた

そんな江川さんは、1回戦、大阪の強豪・北陽高等学校戦では、2安打19奪三振で完封(2対0で勝利)、2回戦の福岡・小倉南高等学校戦では、7回1安打10奪三振で完封(8対0で勝利)、準々決勝の愛媛・今治西高等学校戦では1安打20奪三振で完封(3対0で勝利)と、3試合で25イニング投げ、49奪三振、被安打6、失点ゼロという驚異的な成績を残しているのですが、

「西の横綱」と称された北陽高等学校の強力打線でさえ、江川さんの速球をすぐにはバットに当てることができず、2回、試合開始から23球目で、ようやく、5番打者の有田選手が一塁内野席にファウルを打っただけで、スタンドからどよめきと拍手が起こったといいます。

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小倉南高等学校の重田監督ほかナインは江川卓の速球に対し対策を講じるもバットに当てるだけで精一杯だった

また、作新学院と北陽の対戦を見学していた小倉南高等学校のナインは、「江川君の球を打てる気がしない」と不安がり、翌日からは、バットをふた握りも短く持って、ミートバッティングの練習をし、走者を置いての練習はバントしかしなかったほか、

重田監督も、

負けてもともと、という気持ち。うちの選手は非力だから、江川君の速球に振り遅れるでしょう。とにかくその速球に当てるのが先決です

と、語り、

試合では徹底した短打戦法とバントで江川さんに食い下がるのですが、打てばファウル、バントはスピードにおされてフライとなり、ヒットは7番の日高選手のバント安打1本に終わり、

試合後、選手たちは、口々に、

あんな速いボール、打てというのが無理です。とても打てません。ボールの伸びが今まで戦ったどの投手より全然違います。いろいろ研究し、工夫したのですがだめでした。でも江川君と対戦しただけでいい思い出です

と、サバサバとした表情で語っていたそうです。

「江川卓は高3の春の甲子園でベスト4に終わるも絶賛されていた!」に続く

作新学院高校時代の江川卓

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