高校1年生の時にノーヒットノーランを2回(うち1回は完全試合)、高校2年生の春にもノーヒットノーランを2回達成するも、全国的には無名の投手だった、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、高校2年生の夏、3試合連続ノーヒットノーランを含む36イニング連続無安打無失点を記録しながら、関東大会出場が叶わなかったことが、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などの全国紙に取り上げられると、一躍、全国的に有名になり、「怪物」と呼ばれるようになります。

作新学院高校時代の江川卓

「江川卓は高2のとき3試合連続ノーヒットノーランを達成していた!」からの続き

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高校2年生の時に全国紙に取り上げられ一躍有名に

「第54回全国大会栃木県予選」で公式戦36イニング連続無安打無失点記録を樹立するほか、4試合で3割3分3厘(15打数5安打)と、投打共に活躍するも、味方打線に恵まれない(作新学院のチーム打率は2割6分1厘(138打数36安打))などの不運により、高校2年生の夏も、関東大会出場が叶わなかった江川さんですが、

特に、栃木県予選準決勝での悲劇的な敗退は、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などの全国紙に取り上げられて(それまでは全国的には無名の高校生投手だったのが)大きな話題となり、

栃木にはとんでもない投手がいる

相手校はバントもできず三振の山を築いている

栃木に怪物江川あり

などと、報じられます。

「怪物」と呼ばれるように

こうして、この頃から、江川さんは、「怪物」と呼ばれるようになるのですが、

江川さんは、後に、

球の速さで言えば、甲子園に何とか出ようと思って一生懸命投げていた高校1年の秋から2年生の夏ぐらいまでが、生涯で一番速かったんじゃないかと思います

と、語っています。

(江川さんの速球は軽く150キロはあったと言われており、当時の高校生が江川さんの球を打ち返すのはほぼ不可能な状態でした)

高校2年生のとき秋の栃木県予選優勝に大きく貢献

そんな江川さんは、同年秋の「第25回秋季関東地区大会栃木県予選」では、1回戦の那須高等学校戦に先発すると、5回まで投げ15アウトのうち14アウトを三振で奪い無安打零封(6回以降は後続投手が抑え、14対0で勝利)、

2回戦の足利工業高等学校戦は9回2安打15奪三振で完封(4対0で勝利)、準決勝の宇都宮学園戦は6回2安打6奪三振零封(以降は後続投手が抑え、9対0で勝利)、

そして、決勝の鳥山高等学校戦も、9回2安打10奪三振で完封し(7対0で勝利)、見事、作新学院を栃木県予選優勝(「第25回秋季関東地区大会」進出)に導きます。

高校2年生のとき秋の関東地区大会優勝に大きく貢献

そして、「第25回秋季関東地区大会」でも、1回戦の東京農業大学第二高等学校(群馬県大会優勝校)戦で6回1安打13奪三振零封(以降は後続投手が抑え、10対0で勝利)、準決勝の銚子商業(千葉県大会優勝校)戦でも、1安打20奪三振で完封(4対0で勝利)で決勝に進出すると、

東の横綱とも称された横浜高等学校(神奈川県大会優勝校)との決勝戦でも、4安打16奪三振で完封し(4対0で勝利)、見事、作新学院を関東地区大会優勝に導いたのでした。

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高校2年生の銚子商業高等学校戦での投球が最高の投球だった

ちなみに、銚子商業の打者たちは、バットを短く持って江川さんの球に食らいつこうとするも、打球は前に飛ばず、バントで揺さぶろうとしても全てファウルになったそうで、

後に、江川さん自身も、

銚子商戦が私の最高の出来でした。あの一戦だけは落とせなかったものですから。センバツのためにも

と、語っています。

「江川卓は高3の春の甲子園で3試合連続完封勝利していた!」に続く

作新学院高校時代の江川卓

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