高校1年生の時にノーヒットノーランを2回(うち1回は完全試合)、高校2年生の春にもノーヒットノーランを2回達成した、江川卓(えがわ すぐる)さんは、高校2年生の夏には、3試合連続ノーヒットノーランを達成しているのですが、甲子園出場は叶いませんでした。

作新学院高校時代の江川卓

「江川卓は高2のとき頭部死球を受けて意識不明となっていた!」からの続き

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高校2年生の夏の全国大会栃木県予選では3試合連続ノーヒットノーランを達成していた

1972年、高校2年生の時、「第25回春季関東地区大会」では、2回戦の前橋育英高等学校戦でノーヒットノーランするほか、準決勝の前橋育英高等学校戦でも延長12回1失点と力投(完投)するも、1対0で敗退してしまった江川さんですが、

同年夏の「第54回全国大会栃木県予選」では、2回戦の大田原高校戦、3回戦の石橋高等学校戦、準々決勝の栃木工業高等学校戦で、3試合ともノーヒットノーラン(うち、石橋高等学校戦は完全試合)という離れ業をやってのけています。

(大田原戦で13奪三振、石橋戦で17奪三振、栃木工戦で17奪三振)

高校2年生の夏の全国大会栃木県予選では36イニング連続無安打に抑えるも・・・

そして、準決勝の小山高校戦でも、江川さんは、10回二死まで無安打無失点(15奪三振)に抑えていたのですが、

(トータル36イニング連続無安打)

延長10回裏二死で、中前テキサス安打で初安打を許してしまうと・・・

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高校2年生の夏の全国大会栃木県予選では準決勝の小山高等学校戦でサヨナラ負けを喫していた

延長11回裏には、内野安打と四球で無死一塁、二塁とされると、送りバントの後、一死二、三塁という場面で、スクイズを決められて、0対1でサヨナラ負けしてしまい、

(江川さんはマウンドを駆け下りてボールを拾うも、尻もちをついてしまい、三塁ランナーの生還を許してしまいます)

またしても、(北関東予選に進めず)夏の甲子園出場は叶わなかったのでした。

「江川卓は高2から「怪物」と呼ばれるようになっていた!」に続く

作新学院高校時代の江川卓

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