1973年、高校3年生の春の甲子園大会でも、北陽高等学校(1回戦)、小倉南高等学校(2回戦)、今治西高等学校(準々決勝)の3試合で連続完封勝利するなど、凄まじい投球を見せた、江川卓(えがわ すぐる)さんは、準決勝の広島商業高等学校戦でも素晴らしい投球をするも、味方のミスなども重なって点を奪われ、ベスト4で敗退してしまうのですが、対戦相手からは絶賛されています。

作新学院高校時代の江川卓

「江川卓は高3の春の甲子園で3試合連続完封勝利していた!」からの続き

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高校3年生の春の選抜大会では準決勝の広島商業高等学校に敗退しベスト4に終わっていた

1973年、高校3年生の春、「第45回選抜高校野球大会」では、北陽高等学校(1回戦)、小倉南高等学校(2回戦)、今治西高等学校(準々決勝)という強豪校を相手に、3試合連続で完封勝利した江川さんは、

続く、準決勝の広島商業高等学校戦でも、5回まで、テキサスヒット(ポテンヒット)と内野安打の2安打に抑え、11奪三振を奪う素晴らしい投球をしていたのですが、

5回までに104球も投げていたため、疲れが見え始め、5回裏、四球で歩かせた達川光男選手(後の広島東洋カープ監督)を二塁に置き、佃投手にポテンヒットを打たれて1点を奪われると、その後、味方の作新学院も1点を取り返すのですが、

1対1で迎えた8回裏、二死一、二塁という場面で、無謀とも思われるダブルスチールを仕掛けられると、予期せぬ動きに作新学院の小倉捕手が慌て、三塁に悪送球してしまい、二塁走者の金光興二選手が生還。これが決勝点となり、作新学院は2対1で敗退してしまったのでした(ベスト4)。

(江川さんは、この選抜大会で通算60奪三振を記録しているのですが、これは、1930年、選抜優勝の第一神港商業学校の岸本正治選手の54奪三振の記録を43年ぶりに塗り替える快挙で、この記録は2023年現在も破られていません)

広島商業高等学校野球部の迫田穆成監督は江川卓対策として「打たないこと」「揺さぶり」の2つの作戦を考えていた

ちなみに、広島商業高等学校野球部の迫田穆成監督は、試合後、インタビューで、

江川のボールはバントすらできんらしい。それで、どうやって点をとるかを考えた

他のチームのことは一切考えなかった。江川をいかに崩すか。それだけを頭に描いて選手を鍛えてきた

と、語っているのですが、

「打たないこと」「揺さぶり」の2つの作戦を考えたそうで、バットを短く持って、バッターボックスにおおいかぶさって構え、ヒットではなくファウルするようにし、それにより、球数を多く投げさせて四球を選び、エンドランなど、足の揺さぶりで江川さんの精神面をも崩すと言う作戦だったそうで、結果、広島商は8個も四球を選び、ヒット2本で2点を挙げて、江川さん攻略に成功したのでした。

また、迫田監督は、江川さん対策として、

  1. 点をやらず相手のミスを待つ
  2. ファールで粘って球数を投げさせる
  3. 投球テンポを狂わせる

とも、語っています。

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広島商業高等学校の佃正樹投手と達川光男捕手らは江川卓を絶賛

ただ、5回裏、江川さんからポテンヒットし、1点先制に大きく貢献した、広島商業高等学校の佃正樹投手は、

江川は怪物でした。とても勝負になりませんよ。プロ入りは(法政大学に)入学してすぐあきらめました。大学時代はほとんど出番がありませんでした。江川の球を打ったなんて信じられないなぁ
(とはいえ、佃投手も、この試合まで3試合連続完封していました)

と、語り、

達川光男捕手(後の広島島東洋カープ監督)は、

普通キャッチャーのミットは捕球するとき、構えたところから下に落ちるんですよね。江川のはミットを上へ弾きあげよったですからね。ものすごう速いんですよ。ありゃ頭に当たったら死ぬぜと、ウチの連中と話しよったです

そして、江川さんと対戦した打者や球審をした審判員、ピッチングを目撃した関係者やファンは、口々に、

とにかくホップするんだ。ベルト付近と思ってバットを振ったら、頭の高さのボールだった

投球フォームに力感はないから、投げた瞬間はそんなに速く感じない。それが手元でグワーンと伸び上がってくる

カーブは2階から落ちてくる感じ。頭に当たると思ってよけたら、そこから曲がってストライクになった

と、語っており、江川さんの投球の凄まじさが伺えます。

「江川卓は高校時代チームメイトと不仲だった?」に続く

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