広島監督就任1年目の1989年は、開幕ダッシュに成功し、最終的にも73勝51敗6分けで貯金22と好成績を残すも、巨人が84勝44敗2分けで貯金40と、あまりに強過ぎ、9ゲーム差もつけられて2位に終わった、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、監督3年目の1991年には、見事、広島カープを優勝に導いています。

監督として初優勝を果たし胴上げされる山本浩二

「山本浩二の広島監督1年目は開幕ダッシュも巨人が強過ぎて2位だった!」からの続き

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山本浩二の広島監督2年目(1990年)は2位も優勝した巨人に22ゲーム差をつけられていた

広島監督就任1年目の1989年は、優勝は逃すも、開幕ダッシュに成功し、73勝51敗6分けで貯金22と好成績を残した山本さんですが、

2年目の1990年は、4月から大きく負け越し、一時は最下位に低迷。これが響き、5月以降、徐々に復調するも、6月下旬まで借金生活が続きます。

それでも、7月上旬からは、大洋や中日との2位争いを繰り広げるのですが…

広島が8月にようやく2位に浮上した時には、首位巨人とは既に10ゲーム以上の大差がついていました。

そして、結局、巨人が88勝42敗(貯金46)で優勝し、広島は22ゲーム差をつけられ、66勝64敗2分けの貯金2で、なんとか2位の座を確保したのでした。

山本浩二の広島監督2年目(1990年)は佐々岡真司や野村謙二郎が躍動も高沢秀昭と新外国人が期待外れだった

ちなみに、この年(1990年)は、前年(1989年)に最優秀救援投手を獲得していた津田恒実投手が、右肩や膝の故障で、わずか4試合しか登板できず、5月からは、ルーキーの佐々岡真司投手を先発から抑えに転向させると、佐々岡投手は、(当時の)日本プロ野球記録となる17試合連続セーブポイントを記録。

さらに、佐々岡投手は、終盤には(翌シリーズをにらんで)先発に戻したにもかかわらず(大野投手を抑えに回したそうです)、先発でも機能し、最終的には、13勝11敗17セーブと、二桁勝利・二桁セーブを挙げ、先発と抑えの両方で大活躍したのですが、

一方、打撃陣は、前年オフにロッテに放出した高橋慶彦選手の後釜としてショートに固定した2年目の野村謙二郎選手は盗塁王となる活躍を見せたものの、

クリーンアップとして期待していた、ロッテから移籍してきた高沢秀昭選手(2年前に首位打者を獲得)が、前年の故障の影響で思うような成績を残せなかったほか、新外国人選手のマイク・ヤング選手も期待外れの成績に終わっていました。

(1989年のオフ、広島・高橋慶彦選手・白武佳久投手・杉本征使投手と、ロッテ・高沢秀昭選手・水上善雄選手の大型トレードが行われていました)

山本浩二の広島監督就任3年目(1991年)は最大7.5ゲームをひっくり返し9月で首位に立っていた

しかし、監督就任3年目の1991年は、将来の4番候補として捕手から内野手にコンバートさせた江藤智選手と前田智徳選手(共に2年目)を積極的に起用すると、

序盤は、(断トツ最下位の)阪神を除く5球団で団子状態となり、停滞していたものの、5月5日から9連勝すると、首位に浮上。

その後、再び停滞し、一時は首位の中日に7.5ゲーム差をつけられ、山本さんは「今季で辞めなければならないかも・・・」と指揮官として苦悩の日々が続いたそうですが、

安定した投手陣を武器にじわじわ追い上げると、9月3日からの阪神3連戦(甲子園)を2勝1敗と勝ち越し、9月7日、8日の巨人2連戦(東京ドーム)は2連勝、そして、9月10日、首位・中日と1ゲーム差で迎えた中日3連戦(ナゴヤ球場)では3連勝し、ついに、勝率差で首位に躍り出たのでした。

(山本さんはナインに「本当の勝負は9月。辛抱しとけば必ず勝負の時が来るんや」と訴え続けたそうで、半信半疑だったナインも中日との差がじりじり詰まるにつれ、山本さんの真意が分かってきたそうです)

山本浩二は監督就任3年目(1991年)に初のリーグ優勝を果たしていた

そして、マジック1で迎えた10月13日、広島市民球場でのダブルヘッダー(阪神戦)では、第1試合は、延長10回の末、2対3で負けるのですが、

第2試合は、エース・佐々岡投手を中3日でスクランブル登板させると、

(※スクランブル登板とは、投手陣は、通常は、先発、中継ぎ、抑えと役割分担をしているのですが、その振り分けを無視して、先発ローテーションを崩し、先発投手を前倒しで先発、リリーフ登板させること)

初回、西田真二選手のタイムリーで挙げた1点を、佐々岡投手が8回途中まで、8回無死一塁からは、この春からクローザーとした大野豊投手がも守りきって1対0で勝利し、指揮官として初のリーグ優勝に輝いたのでした。

(広島カープとしては5年ぶり6度目の優勝)

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山本浩二は監督就任3年目(1991年)広島市民球場3万2000人の観衆に見守られ胴上げされていた

ちなみに、9回二死、カウント2-2の場面、阪神・古屋選手のバットが空を切ると、達川光男捕手と大野豊投手が同時にガッツポーズし、ナインたちはマウンド目がけてダッシュしているのですが、

山本さんは、ワンテンポ遅れてベンチからグラウンドに出ると、五色のテープと紙吹雪が乱舞する中、総立ちとなった3万2000人の観衆に見守られて、ナインの手により5回宙に舞っています。

そして、優勝インタビューでは、

長くつらい、苦労した1年間でした。きょうのゲームのような1年間でした。それだけにうれしいです。ありがとうございました

と、語り、

耳をつんざく歓声の中、内外野のスタンドに向かって何度も手を振っています。

(ただ、日本シリーズでは西武に3勝4敗で敗れています)

「山本浩二は津田恒美に「二軍に落としてほしい」と言われていた!」に続く

監督として初優勝を果たし胴上げされる山本浩二
1991年10月13日、広島市民球場で優勝を果たし胴上げされる山本さん。

お読みいただきありがとうございました

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