物心ついた時から、男の子と野球をするよりも、女の子と一緒におままごとやお人形遊びをすることが好きで、心も感覚も感性も思考も、全て「女の子」だと感じていたという、カルーセル 麻紀(カルーセル まき)さんですが、少年期には、自分の恋愛対象が男性であることにはっきり気付いたそうで、ゲイボーイとして生くことを決心したそうです。
「カルーセル麻紀は幼少期から自分を女の子だと思っていた!」からの続き
カルーセル麻紀は中学生の時に三島由紀夫や美輪明宏を知りゲイボーイとして生きることを決心していた
カルーセルさんは、14歳の時、中学卒業後は美容師になると決めていたそうですが、同性愛者の若者が主人公の、三島由紀夫の小説「禁色」を読み、初めて「同性愛」という言葉を知ると、
同時期には、美輪明宏(当時は丸山明宏)さんの映画を見て、「ゲイボーイ」の存在を初めて知ったそうで、
(美輪さんは当時、「麗しのゲイボーイ」として一世を風靡していました)
(世の中で自分だけだと思っていたが)こういう世界があるんだ!
と、衝撃を受け、
自分みたいな人間が行く道(生きていく世界)はこれしかないと、一筋の光を感じ、絶対に東京でゲイボーイになると心に決めたのだそうです。
カルーセル麻紀は高校生の時、教頭に髪をバリカンで刈られ、激怒してそのまま高校を中退していた
そんなカルーセルさんは、中学卒業後、高校に進学すると、演劇部に入ったそうで、15歳の時には、女役を演じるため、坊主だった髪を伸ばし始めたそうですが、教頭に髪をバリカンで刈られてしまったそうで、
猛烈に頭にきて、そのまま中退すると、その後は、ゲイボーイとして生きるため、新聞配達のアルバイトで稼いだお金を持って家出し、北海道・釧路から東京行きの汽車に乗ったのだそうです。
カルーセル麻紀は家出して東京行きの汽車に乗るも家出少年とバレて捕まりそうになり走っている汽車から飛び降りていた
しかし、運悪く、車掌(しゃしょう)に家出少年だと見破られ、捕まりそうになったそうで、なんと、カルーセルさんは、走ってる汽車から荷物を放り投げて飛び降りたのだそうです。
すると、飛び降りたところが札幌だったため、とりあえず、ススキノ(飲み屋街)に行き、「このあたりにゲイバーありませんか?」と尋ね歩いたそうですが、なかなか知っている人はいなかったそうで、
(「競馬場は遠いよ」と言われるなど、それほど、普通の人は「ゲイバー」など知らない時代だったそうです)
飲み屋街を歩いている流しのお兄さんなら知っているだろうと思い、聞いてみたところ、そのお兄さんは、「なんだ坊主、ゲイボーイになるのかい?」と言って、ゲイバー「ベラミ」という店まで案内してくれたのだそうです。
カルーセル麻紀は高校中退後は札幌のゲイバー「ベラミ」で年齢をごまかし住み込みで働いていた
そして、カルーセルさんは、早速、ゲイバー「ベラミ」で面接を受けると、(この時15歳だったのですが)18歳とごまかして採用されたそうで、住み込みで働くことになったそうですが、
「マメコ」と名付けられ、入ったその日からショータイムで踊ったそうで、
カルーセルさんは、
着いたその日から店に出て、お酒も飲んでショータイムでダンスも踊ったの。
中学生のころから父の日本酒を飲んでいたし、漁港の船員さんたちに可愛がられて、船の中でいろんなステップを教わっていたから、マンボやジルバ、タンゴも踊れたのよ。
住み込みで下働きをしながら、この世界の礼儀や接客、それに男の騙し方、悦ばせ方まで、徹底して仕込んでもらったわ
と、語っています。
(ゲイバー「ベラミ」では、「マヤさん」と呼ばれる先輩から、この世界での、礼儀やマナー、接客接待のイロハ、ドレスの着こなし、和装の着付け、さらには、男性の騙し方、悦ばせ方などの恋愛テクニックなどを、徹底して仕込まれたそうで、忙しく、辛く、怖い毎日だったそうですが、それでも、とても楽しかったそうです)
「カルーセル麻紀が若い頃は銀座のゲイバー「青江」で売れっ子だった!」に続く