2011年、それまで、メジャー移籍後10年連続で達成してきた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」がストップしてしまったイチローさんは、2012年も調子は戻らず、シーズン途中で、シアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍しています。
今回は、イチローさんがニューヨーク・ヤンキースに移籍した理由のほか、ヤンキースでの扱いや、ヤンキース時代に達成した日米通算4000安打の様子をご紹介します。
「イチローはメジャーで10年連続3割200本安打(MLB史上初)を達成していた!」からの続き
イチローはMLB12年目の2012年7月23日に2対1のトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍
2000年オフに、ポスティングシステム(海外FA権取得前にメジャーリーグへ移籍できる制度)でシアトル・マリナーズに移籍すると、2010年まで、10年連続200本安打以上というMLB(メジャーリーグ)史上初の記録を残すも、2011年には、184安打(打率2割7分2厘)で終わってしまったイチローさんは、2012年になっても調子は戻らず、
同年7月23日には、D.J.ミッチェル選手とダニー・ファーカー選手との2対1のトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍しています。(38歳)
イチローがニューヨーク・ヤンキースへ移籍した理由とは?
ちなみに、イチローさんは、移籍発表記者会見を開いた際、
自ら志願してヤンキースへ移籍することを明かしつつ、ヤンキースへ移籍する理由について、
(2001年からの)このあまりにも長い時間を思うと、今の思いを簡潔に表現することは難しいですが。(9秒間沈黙し)11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐという想像をした時に、大変寂しい思いになりましたし。今回のこの決断は大変難しいものでした。
オールスターブレーク(球宴休み)の間に自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に来年以降、僕がいるべきではない、ということでした。そして僕自身も、環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えました。
そうであるならば、出来るだけ早くチームを去ることがチームにとっても僕にとっても良いことなのではないか、という決断でした。
前向きな挑戦というものが必要だし、それにトライしたいという思いが芽生えた。その中ではネガティブなこともたくさん考えた。ノーならネガティブな挑戦、イエスなら前向きな挑戦が待っている。2つの道があってどっちを取るかは、そんなに迷わないでしょう。
と、語っています。
イチローはニューヨーク・ヤンキース移籍1年目の2012年は右翼や中堅を守り打順は主に下位だった
そんなイチローさんはニューヨーク・ヤンキース移籍後、早速、古巣シアトル・マリナーズ戦に8番・右翼で先発出場すると、第1打席でセンター前ヒットを放ち、盗塁も決めているのですが、
守備位置は、マリナーズ時代とは異なり、右翼手だけではなく、チーム状況に合わせて中堅手も務め、打順も、下位で起用されることが多くなります。(9月下旬からは主に2番で起用されました)
(メジャーは、日本のように、4番に最強打者を置くという概念はなく、出塁率を重視するため、出塁率が高ければ高いほど打順は上位になるそうです)
イチローはニューヨーク・ヤンキース移籍2年目の2013年にはスタメン出場が減っていた
そして、ヤンキース移籍2年目の2013年は、外野手4番手または5番手という位置づけとなり、スタメン出場は、出場試合の85%となって、打席数も663から555まで減少してしまいます。
(イチローさんがシアトル・マリナーズ時代の2001年から2012年までは、スタメン出場は出場試合の93%を下ることはなかったそうで、打席数が600を割ったのもこのシーズンが初めてだったそうです)
ただ、当時のヤンキース監督のジョー・ジラルディ監督は、当時39歳だったイチローさんの出番を減らすことを、成績とは関係なく開幕当初から決めていたようで、4月10日の時点で、
外野陣はローテーションを回して起用していきたい。イチには何日間かごとに休みを与える
と、話していました。
イチローはニューヨーク・ヤンキース移籍2年目の2013年は球場入りするまでスタメンかどうか分からなかった
それでも、メジャーリーグデビューからほぼ休まず試合に出場し続けてきたイチローさんにとって、出番を減らされることは、あまりにも大きな変化で、そんな自分の置かれた状況に、苦悩していたそうで、
ラインナップカードを見るまでは、先発でゲームに出られるかどうか分からない。ずっとそうなんですよね。もちろん出発前に家で出来ることをやってここに来るんですけども、なかなか安定した気持ちの中でここに来ることはできない。
今日もそうでした。ラインナップカードに自分の名前があったときに、自分にスイッチを入れるという感じですかね、自分の中で。なかなか難しい時間を過ごしています
と、語っています。
(ラインナップカードはクラブハウス入口の扉の内側に貼ってあったそうで、選手は球場入りする時にラインナップを確認していたそうです)
また、イチローさんは、2018年3月7日、マリナーズ復帰記者会見の際にも、この時のことを、
以前、マリナーズでプレーしていたときは、必ずラインアップに名前があった。(その場合)自分のルーティンを守ることはとても簡単というか、難しくなかったですけれども、ニューヨークに行ってからは球場にいかないと、その日プレーするかどうかわからない。
ゲームが始まって、スターティングラインアップに名前がないとき、どこへ自分がいくのかっていうのはまったくわからない状態が続いていました。
それが慣れてきたころに、なんとなくこう、こんな状況で自分はいくんだなぁとつかめるようになったんですけれども、見えないものといつも戦っている――そういう状態だったんですね。
でも、それにもいつしか自分が対応できるようになって……。左ピッチャーがきたとき、代打の代打っていうこともありました。それは過去になかったことなんですけれども、そういう悔しい思いもたくさんしてきた5年半だったので、いろいろなことに耐えられるんじゃないかって思っています
と、語っています。
イチローは2013年8月21日のブルージェイズ戦で日米通算4000安打を達成
そんな中、イチローさんは、2013年8月21日のブルージェイズ戦で、2番、右翼で先発出場すると、1回の第1打席で、相手の先発、R.A.ディッキー投手から左前打を放ち、日米通算4000安打を達成しているのですが、
1回の第1打席では、イチローさんが打席に入っただけで、スタンドから大きなイチローコールが起こり、先発のR・A・ディッキー投手から左前打を放つと、観客が総立ちで熱い歓声と拍手を送っています。
そして、ホーム側のベンチからは、チームメートやコーチらも出てきて、一塁ベースに立つイチローさんと1人1人ハグをして祝い、その間、試合はしばらく中断。
この瞬間は、今もファンの間で、記憶に残る名場面として語り継がれています。
ブルージェイズ戦の1回、日米通算4000安打を放ち、チームメートから祝福されるイチローさん。
ちなみに、イチローさんのこのシーズンの成績は、150試合出場で、136安打、打率2割6分2厘と、前年(2割8分3厘)より下降。
そして、2014年には、143試合出場で、102安打、打率2割8分4厘と、前年を上回る成績を残すのですが、この年(2014年)のオフ、FAとなったのでした。
「イチローはマーリンズでは第4の外野手で代打要員!MLB3000安打も3年で退団!」に続く