1991年、ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団すると、NPB(日本プロ野球)では、7年連続首位打者ほか、打点王、盗塁王、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などを受賞し、MLB(メジャーリーグ)でも、MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを受賞したイチローさんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、そんなイチローさんの奥さんとの馴れ初めなどをご紹介します。
「イチローは引退後は草野球チームKOBE CHIBENを結成し松坂大輔も加入していた!」からの続き
イチローの妻・福島弓子との馴れ初めは?
イチローさんは、1999年12月、元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚しています。
イチローさんは、1994年、(当時の)日本新記録の年間210本安打を達成しているのですが、その際、弓子さんがイチローさんを取材し、インタビューをしたことがきっかけで知り合うと、
1995年シーズンオフには、ラジオ「イチローの気持ちはいつもフルスイング」で、弓子さんがアシスタントを務めたことから、親しくなったそうで、以降、イチローさんは、取材を受ける際には、弓子さんを指名するようになっていったそうです。
そんなイチローさんと弓子さんは、1997年8月から交際をスタートすると、1999年1月には、イチローさんが弓子さんにプロポーズして弓子さんが受け入れ、1999年12月、アメリカのサンタモニカで身内のみで結婚式を挙げたそうです。
(弓子さんは、イチローさんからプロポーズを受けた2ヶ月後の1999年3月にTBSを退社しています)
イチローは午前中にプロポーズしていた!その理由とは?
ちなみに、イチローさんは、プロポーズの言葉は明かしていないのですが、プロポーズをしたのは、夜ではなく午前中だったことを明かしています。
イチローさんは、糸井重里さんと住吉美紀さんとの対談で、
住吉美紀さん:最初なにを見極めてこの人だっ!てわかったんですか?
イチローさん:そこは、、勢いですよ、決断は勢いですよ。そう思う時間帯って大事なんですよ。そういう気持ちになるのって夜じゃないですか、プロポーズするのって。でもだめですよ、プロポーズは真っ昼間。その時にどう思うか、この人と一緒にいたいと思うか。理由はそれぞれでしょうけど、決断はお天道様の下。重要な決断は僕はそうしないといけないないと思ってる。冷静なときに。
住吉美紀さん: 実際真っ昼間だったんですか?
イチローさん:ぼくは朝です。寝ぼけてないですよ、午前の時間です。重要な決断を寝ないで考えるってよくあるじゃないですか。寝なきゃだめでしょ。寝ないと思考が働かなかいから、大事な決断するときは、いつもよりも寝て、真っ昼間にしてください。
と、語っています。
また、イチローさんは、別のインタビューでも、
夜にラブレターを書いたことがありますが、それを翌日の朝に見返すと、ビックリしたことが書いてあったため愕然(がくぜん)とした
と、語っています。
イチローが妻・弓子と結婚した理由とは?
また、イチローさんは、弓子さんと結婚した理由について、2023年1月18日、オリックスグループ公式インスタグラム「SMILE ON」で、自身初となるインスタライブに登場した際、
(相談ライブ「イチ問一答」と題し、ファンからの、仕事、恋愛、人間関係ほか幅広い悩み相談に答えるコーナーで)
28歳の女性からの、
彼氏ができたことがありません。周りはどんどん結婚していきます
(出会いがなく)自分の何が悪いのか、悩んでいます
との、質問に答える形で、
これは、追い掛けると遠のくだろうな、と思うんですよね。恋愛だけでなくて、色んなことがそうではないですか。欲しいと思うものは、なかなか寄ってきてくれない
探すものじゃなくて、出会うものだと僕は思うけど、見方を少し変えると、何でも話せる相手。友達も含めて、そういう人の中に結婚相手はいるかもしれないですね。お互いにそうだといいですね
結婚すると愛の形が変わるというじゃないですか。それはそうだと思うんです。ずっと恋愛して結婚生活を送るのは難しいと思うんで。それよりも友達で、何でも話していた人の方が結婚生活となると楽だし、楽しいケースは結構あると思う
実は、うちもそのパターンです。友達パターン。何でも話していた、当時。何にも意識…ごめんなさい。何にも意識、は申し訳ない。すみません。これは弓子に承諾を得ていないので、ごめんなさい
でも、何にも意識はしてなかったんですよね。それがあるとき、すごい楽だなと。お互いに感じていたんですよ。それが結婚生活においてはヒントになる気がしますね
と、明かしています。
妻・弓子はイチローの現役時代、身体的にも精神的にも献身的にイチローをサポートしていた
そんな弓子さんは、結婚後、イチローさんを、身体的にも精神的にも献身的にサポートしていたそうで、
- 遠征の多いイチローさんのため、下着にアイロンをかけてきれいに折り畳み、遠征先で身につける順番に沿って荷造りしていた
- ホームの試合後にイチローさんが帰宅した際、30分以上も足裏をマッサージしていた
- イチローさんが不調で落ち込んでいる時は愚痴の聞き役になり、“もう少しだけ頑張ってみよう”“打てなかったら仕方ないよ”などと、子供をあやすように優しく励ましていた
- 2012年には成績が上がらず苦悩していたイチローさんに、“ほかの球団に行ってもいいのよ”と背中を押した。(結果、イチローさんはニューヨーク・ヤンキースに移籍することになった)
- イチローさんが感情的になっていたら“それはダメ”と客観的にビシッと言っていた
- イチローさんは報道陣が弓子さんに群がるのを避けるため、“マスコミの前では笑うな”と言い聞かせ、弓子さんはその教えを忠実に守っていた
などのエピソードがあります。
実際、イチローさんは、親しい人に
弓子には本当に感謝している
と、漏らしているほか、
引退記者会見でも、感謝を伝えたい相手として、弓子さんの名前を挙げ、
ここにいる弓子。彼女がいなければ、今日このような栄誉を受けることは不可能だったと思います。いやぁ…頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。
僕はアメリカで3089本のヒットを打ったんですけど、妻はですね、およそ、ゲーム前ホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを。
その数が2800くらいなんですよ。3000行きたかったですね。そこは3000個握らせたかったなと思います。妻もそうですけど、頑張ってくれました。妻にはゆっくりしてほしいですね。
と、感謝の言葉を述べています。
イチローの妻・弓子は実業家としても成功していた
ちなみに、弓子さんは、2005年には、イチローさんの資産管理会社「IYI」を設立し、経営するかたわら、イチローさんの勧めもあり、シアトル市内にセレブ御用達の高級エステティックサロン「eN Salon」をオープンするなど、実業家としても成功を収めています。
「イチローに子供がいない理由とは?子供嫌い?愛犬を息子と呼んでいた!」に続く
2022年8月27日、シアトル・マリナーズ球団殿堂入り式典に参加するイチローさんと弓子さん。