1953年、奇術師・松旭斎天洋さんの門下生となると、1960年には、松旭斎天洋さんから独立し、1963年には、”水槽大脱出”を成功させると、以降、テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本における草分け的存在として、日本のマジック界をリードした、初代・引田天功(ひきた てんこう)さん。

今回は、そんな引田天功さんの若い頃から他界されるまでの経歴を、デビュー(松旭斎天洋門下生時代)から時系列でまとめてみました。

引田天功

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引田天功のプロフィール

引田天功さんは、1934年7月3日生まれ、
神奈川県横浜市の出身、

身長177センチ、

学歴は、
日本大学高等学校
⇒日本大学工学部卒業

ちなみに、本名は、「引田功(ひきた いさお)」

というそうです。

引田天功は19歳の時に奇術師・松旭斎天洋の門下生となっていた

引田天功さんは、日本大学工学部在学中の1953年、19歳の時、奇術師・松旭斎天洋(しょうきょくさい てんよう)さんの門下生となると、

大学卒業後の1957年には、NHK「魔法の小箱」にレギュラー出演し、たちまち人気を博します。

(引田天功さんは、当初は、奇術・手品・マジックショーなどをしていました)

引田天功
マジックを説明する引田天功さん。

引田天功は26歳の時に松旭斎天洋門下から独立し「東京魔術団」を結成

そんな引田天功さんは、1960年、26歳の時には、松旭斎天洋門下から独立すると、「東京魔術団」を結成し、以降、10年に渡って、団長を務めています。

また、1961年、26歳の時には、NHK初の本格的連続ドラマ「バス通り裏」の元旦の生放送にゲスト出演しています。

引田天功
「バス通り裏」より。右端が引田天功さん。

引田天功は30代~40代の時に日本中に「脱出ブーム」を巻き起こしていた

そして、1963年、28歳の時には、

  • 水中大脱出(1968 赤坂ミカド)
  • 海中大脱出(1968.7 三浦海岸デートナビーチ)
  • 炎の大脱出(1969.2 豊島園グラウンド)
  • ロケットの大飛行(1973.2 日本ランド)
  • 死のジェットコースター大脱出(1973.3 富士急ハイランド)
  • 死の火煙塔大脱出(1974.3 日本ランド)
  • 死の水道管大脱出(1973.10 日本ランド)
  • 恐怖の岩石落とし(1974.4 青梅カナヤマ採石場)
  • 油地獄水面炎上大脱出(1974.10 日本ランド)

など、従来のマジックからは考えられないほどのスケールの大きいマジック”水槽大脱出”(後の脱出イリュージョンシリーズ)を実施すると、日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)などで、「脱出イリュージョン」として放送されているのですが、

毎回、高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こしたのでした。

引田天功
「脱出イリュージョン」より。

引田天功が36歳の時には日本万博博覧会「EXPO’70」でイリュージョンショーを行っていた

こうして、”脱出イリュージョン”で絶大な人気を博した引田天功さんは、本業以外にも、テレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」にレギュラー出演するほか、自身の冠番組「天功どっきり60分!」にも出演し、

1970年、36歳の時には、大阪で行われた日本万博博覧会「EXPO’70」の電力館水上劇場で、イリュージョンショーを行い、世界的にも知られる存在となったのでした。

引田天功は40代になり心筋梗塞に悩まされるようになっていた

しかし、やがて、引田天功さんは、心筋梗塞などの重度の心臓疾患に悩まされるようになったそうで、

身体に負担をかけず、かつ視覚的にインパクトのあるマジックとして、催眠術パフォーマンスにも取り組むようになったそうです。

また、引田天功さんは、

  • ナイアガラの滝から樽に入ったまま落ちて脱出する
  • 正面衝突する2両のSLから脱出する
  • スカイダイビング中に空中で消える

など、新たなイリュージョンも構想していたそうですが・・・

病状の進行による影響から果たすことができず、1977年、43歳の時には、休業となっています。

(1977年には、日本テレビの特番「大脱出」に出演する予定も、結局、出演することができず、前年の1976年に入門したばかりだった”手品もするアイドル歌手”として売り出し中だった朝風まり(プリンセス天功)さんが代役を務めています)

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引田天功の死因は?

そんな引田天功さんは、休業後、闘病生活を続けていたそうですが、1979年12月31日、心臓病により、45歳で他界されています。

ちなみに、引田天功さん死去後は、誰が2代目を襲名するか弟子間で激しい争いの末、最終的には、1980年12月15日、後援会の要請で、朝風まりさんが二代目・引田天功を襲名し、以降、プリンセス・テンコーとして活躍しています。

「引田天功(初代)の前妻は小桜京子!再婚相手は?娘は元少女隊のトモ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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