1993年、22歳の時、松嶋尚美さんと共にお笑いコンビ「オセロ」を結成すると、「オセロ」としての活動のかたわら、1998年、27歳の時、コント番組「笑う犬の生活」に単独で出演し、そのコントがウケてたちまち爆発的な人気を博した、中島知子(なかじま ともこ)さん。
そんな中島知子さんは、「笑う犬の生活」への出演がきっかけで、バラエティ番組に引っ張りだこなると、その後は、タレント活動のほかにも、女優、グラビアモデルとしても活躍しています。
今回は、中島知子さんの若い頃(オセロ時代)から現在までの経歴を、デビューから時系列にご紹介します。
「中島知子の生い立ちは?幼少期から父親から逃れるため家出を繰り返していた!」からの続き
中島知子は22歳の時に事務所から強制的に松嶋尚美と組まされ「オセロ」を結成していた
中島知子さんは、松竹芸能の養成所に入所すると、養成所に来た順にコンビを組まされたそうで、ある日のこと、事務所から、突然、強制的に松嶋尚美さんと組まされたそうで、1993年、松嶋尚美さんと共に「オセロ」を結成したそうです。
ちなみに、中島知子さんは、
自分はタレントとしてピンで行ってみたかったんですけど、事務所的にはそんなことは頭からなかったみたい。
と、語っています。
(コンビ名の「オセロ」は、中島知子さんと松嶋尚美さんの肌の色がそれぞれ黒と白であることからオセロゲームに見立てて命名されたそうで、中島知子さんは「オセロの黒い方」と呼ばれました)
中島知子は「オセロ」としてバラエティ番組に出演していた
その後、中島知子さんは、「オセロ」として、コンビで活動を開始すると、「スーパーJOCKEY」の熱湯コマーシャル、「タモリのSUPERボキャブラ天国」「さんまのSUPERからくりTV」「知っとこ!」「ひみつの嵐ちゃん!」「世界の果てまでイッテQ!」などのバラエティ番組に出演し、人気を博します。
オセロ時代の中島知子さん(左)と松嶋尚美さん(右)。
中島知子は27歳の時にコント番組「笑う犬の生活」で大ブレイク
そんな中、中島知子さんは、1998年、27歳の時、「オセロ」としての活動のかたわら、単独で出演したコント番組「笑う犬の生活」で様々なコントを披露すると、これがウケて、たちまち大ブレイク。
中島知子さんの伝説のコントと言われている宇多田ヒカルさんの「Automatic」。
(この「笑う犬の生活」は、ウッチャンナンチャンの内村光良さんが長い間温めてきたコント番組だったそうです)
ただ、毎週、朝4時くらいまでコントをやるなど、とても過酷な生活だったそうで、当初、中島知子さんは、自分だけが素人で、コントをやったことがなく、コントのノウハウもわからず、
私に声をかけてくださった吉田(正樹)プロデューサーと、演出の小松(純也)さんっていう、『ダウンタウンのごっつええ感じ』からずっとやってらっしゃる方が担当だったんですけど。
小松さんは怒る時にサブ(副調整室)がある3階ぐらいのところから、飛び降りて怒る人なんです。 その人に怒られすぎて落ち込んでた時に、ちょうど他の番組で清水ミチコさんが局にいらっしゃることが分かって、私、面識もないのに楽屋に行ったんです。
「『夢で逢えたら』見てました」「すいません、今、コントやらせてもらってるんですけど、難しくてどうしたらいいか分かりません」って泣きついて、すごいですよね(笑)。
(清水ミチコさんは)「そんなの急に言われても困るよ(笑)。小松に相談しなさい」って。「他の人ができる人ばっかりなんだから、みんなの見よう見まねでやっていけ」って、言ってくれました。
と、語っています。
とはいえ、そんな大変な中でも、ウッチャンナンチャンと共演できたことはとても大きく、特に、内村光良さんは、その後も、いろいろな番組に呼んでくれたそうです。
また、内村光良さんは、何をやっても優しいリアクションで返してくれることから、スベることを気にせず、張り切ってコントをすることができたのだそうです。
中島知子は若手時代には深夜番組「UN FACTORY カボスケ」で体を張った仕事をしていた
こうして、中島知子さんは、「笑う犬の生活」への出演がきっかけとなり、バラエティ番組に引っ張りだことなるのですが、
深夜番組「UN FACTORY カボスケ」では、パンストをかぶったり、水着で飛び込んだりと、体を張った、若手がやる、ありとあらゆることもやったそうで、
中島知子さんは、
素人の延長のような自分が、一気に テレビというすごい変わったシチュエーションに入っていって。女が少なかったから、何でもいいから参加してこいって言われてたんですね。
と、内村光良さんからのアドバイスがあったことを明かしています。
また、中島知子さんは、当初は、アシスタントのオーディションなども受けていたそうですが、オーディションで会ったNHKの堀尾正明アナウンサーに、人の話を聞く仕事よりも前へ前へ出る仕事をしたほうがいいとアドバイスをされたそうで、
内村光良さんのアドバイスの通りだと思ったそうです。
中島知子が30代の時にはテレビドラマ「ルームシェアの女」、映画「三年身籠る」など女優としても活動していた
そんな中島知子さんは、2002年には、本格的に女優としても活動を開始し、2005年、34歳の時には、テレビドラマ「ルームシェアの女」や、映画「三年身籠る」で主演を務めるほか、NHK大河ドラマ「義経」(2005年)、「マチベン」(2006年)など話題のドラマにも出演しています。
「ルームシェアの女」より。大空眞弓さん(左)と中島知子さん(右)。
中島知子が35歳~37歳の時にはヌード写真集も
また、2006年と2007年には、漫画雑誌「ビッグコミックスピリッツ」(2006年2月13日、2007年10月1日発売)で、表紙と雑誌内のグラビアを飾るほか、
2008年には、ファッション雑誌「GLAMORUS」(2008年3月7日発売)で、チャリティー企画の一環として、蜷川実花さん撮影によるヌード姿を披露すると、
など、ヌード写真集も出版しています。
中島知子の現在は?
そんな中島知子さんですが、2011年4月25日、39歳の時、体調不良により、無期限活動休止となると、その間、松嶋尚美さんとのコンビ「オセロ」も解散しているのですが、
2021年12月30日(50歳)には、「ぐるぐるナインティナイン」への出演で芸能界に復帰すると、これをきっかけに、2022年により、バラエティ番組への出演が増え、
- 「有吉ゼミSP」(4月4日放送)
- 「土曜プレミアム・爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」(4月23日放送)
- 「THEカラオケ★バトル」(8月7日放送)
- 「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(8月19日放送)
- 「人志松本の酒のツマミになる話」(11月11日放送)
などに出演。
現在は、九州・大分を拠点にタレントとして活躍しています。
「中島知子は結婚している?元カレ谷原章介との破局理由は?結婚寸前だった!」に続く
1993年、22歳の時、お笑いコンビ「オセロ」としてデビューすると、以降、「笑う犬の生活」で披露したコントや、キレのあるMCでバラエティ番組で引っ張りだことなった、中島知子(なかじま ともこ)さん。 そんな中島知子さんの …