1976年、29歳の時、映画「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」で女優デビューすると、1977年「トラック野郎・度胸一番星」、1978年「喜劇役者たち 九八とゲイブル」と、ヌードになる役が続くも、
1983年には、今村昌平監督作品「楢山節考」での演技が高く評価され、演技派女優の地位を確立した、あき竹城(あき たけじょう)さん。
そんなあき竹城さんは、その後も、テレビドラマや映画に多数出演するなど、女優として活動しつつ、1990年代後半からは、その明るく親しみやすいキャラクターと独特な山形弁を活かしてバラエティ番組でも活躍し、世代を問わず、お茶の間の人気を博しました。
今回は、あき竹城さんの若い頃から他界されるまでの経歴をデビューから時系列でご紹介します。
「あき竹城の生い立ちは?幼少期から宝塚に憧れ高校中退して大阪でダンサー!」からの続き
あき竹城は29歳頃に深夜番組「11PM」でカバーガールに起用されていた
あき竹城さんは、1974年、27歳頃、日劇ミュージックホールで、ダンスショーの合間に東北弁を使ったコントを披露したそうですが、この方言を活かしたコミカルな演技が注目を集めたそうで、
1976年、29歳の時、山形弁を売りにしたコメディエンヌとして、テレビ番組「独占!男の時間」に出演すると、深夜番組「11PM」でもカバーガールの一人に起用され、一躍、知名度を上げます。
あき竹城は29歳の時には映画「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」で女優デビュー
そんなあき竹城さんは、映画界へも進出し、1976年には、「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」のホステスのルミ役で女優デビューしています。
あき竹城は30歳の時には映画「トラック野郎・度胸一番星」でトップレス姿になっていた
また、あき竹城さんは、1977年には、「ピラニア軍団 ダボシャツの天」と「トラック野郎・度胸一番星」に出演しているのですが、
「トラック野郎・度胸一番星」では、追跡中にトラックの排気ガスで顔半分が黒くなり、上着を剥ぎ取られる(トップレス姿の)婦人警官役を演じています。
「トラック野郎・度胸一番星」より。
あき竹城は36歳の時に「楢山節考」で女優としての地位を確立していた
そんなあき竹城さんは、1978年、「喜劇役者たち 九八とゲイブル」でもストリッパー役を演じるなど、当初はヌードを求められる役が多かったのですが、
1983年、36歳の時、今村昌平監督に、映画「楢山節考」で、緒形拳さん演じる主人公・辰平の後妻役に抜擢されると、この作品は、カンヌ国際映画祭でパルムドール賞(最高賞)を受賞し、
あき竹城さんの演技も高く評価され、女優としての地位を確立したのでした。
「楢山節考」より。坂本スミ子さん(左)とあき竹城さん(右)。
あき竹城は48歳頃からバラエティ番組に進出し「秘密のケンミンSHOW」「炎の体育会TV」などにレギュラー出演していた
以降、あき竹城さんは、女優として、映画やテレビドラマに数多く出演しつつ、1990年代後半からは、その明るく親しみやすいキャラクターと独特な山形弁を活かして、バラエティ番組でも活躍。
特に、「秘密のケンミンSHOW」「TBS’s Honoo no Taiiku-kai TV」(「炎の体育会TV」)では、レギュラーを務め、世代を問わず、お茶の間の人気者になったのでした。
「秘密のケンミンSHOW」より。(左から)佐藤正宏さん、キャイ~ンのウド鈴木さん、あき竹城さん。
あき竹城は72歳と73歳の時にレギュラー出演していた「秘密のケンミンSHOW極」「炎の体育会TV」を突然降板していた
ただ、2020年3月(あき竹城さん72歳)、突然、レギュラー出演していた「秘密のケンミンSHOW極」を降板すると、同年9月には、「炎の体育会TV」も、突然、降板。
あき竹城さんの事務所は、自身のみが在籍する個人事務所で、オフィシャルサイトもSNSもやっていなかったことから、業界内では、引退説や体調を心配する声が上がりました。
そんな中、NEWSポストセブンの記者が真相を確かめるべく、あき竹城さんの自宅を訪ねると、
関係者らしき人が取材に応じ、
(あき竹城さんが突然テレビから姿を消した理由について)コロナ禍なので、しばらく仕事はお休みしています。一社に対応すると、『ではうちも・・・』となってしまうので、ご依頼は全部お断りしている状況です
と、語ったそうで、
後日には、代理人弁護士を通じて、あき竹城さんご自身から、
年齢的にもコロナが怖いため、仕事はお休みしている状況です
とのコメントが発表されたのでした。
あき竹城の死因は大腸ガン
こうして、あき竹城さんの体調を心配していた関係者やファンは、ホッとしていたのですが・・・
実は、あき竹城さんは、2020年頃、大腸ガンと診断され、闘病生活を送っていたそうで、元気な姿で復帰したいとの思いから、病状を公表せず、治療に専念していたのだそうです。
そして、2022年秋頃、病状が悪化すると、同年12月15日、東京都内の病院で、大腸ガンにより、75歳で他界されたのでした。
(関係者によると、「炎の体育会TV」の降板について、あき竹城さんから「私がコロナにかかったら番組に迷惑をかけるから卒業させてください」と申し出があったといいます)
あき竹城の出演作品(映画)
それでは、最後に、あき竹城さんのその他の主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1977年「仁義と抗争」
- 1978年「喜劇役者たち 九八とゲイブル」
- 1980年「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」
- 1981年「夏の別れ」
- 1983年「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」 - 1984年「おしん」
- 1985年「夜叉」
- 1987年「二十四の瞳」
- 1989年「せんせい」
- 1996年「スーパーの女」
- 1997年「マルタイの女」
- 1999年「完全なる飼育」
- 2001年「DRUG」
- 2002年「化粧師 KEWAISHI」
- 2003年「アイデン&ティティ」
- 2005年「恋するトマト」
「恋するトマト」 - 2006年「待合室」
- 2006年「嫌われ松子の一生」
- 2014年「小さいおうち」
あき竹城の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1978年「吉宗評判記暴れん坊将軍」
- 1979年「熱中時代 刑事編」
- 1980年「天まであがれ」
- 1983年「徳川家康」
「徳川家康」 - 1984年「事件記者チャボ!」
- 1985年「ママ、大変だァ!」
- 1986年「必殺仕事人V・旋風編」
- 1988年「はぐれ刑事純情派」
- 1989年「青春家族」
「青春家族」 - 1992年「ある日、突然・・・」
- 1994年「春よ、来い」
- 1995年「八代将軍吉宗」
- 1996年「はみだし弁護士・巽志郎」
- 1997年「十津川警部シリーズ」
- 1998年「京都の芸者弁護士事件簿」
- 1999年「弁護士・高林鮎子」
- 2000年「私の青空」
- 2002年「京都殺人案内」
- 2003年「第一級殺人弁護」
- 2004年「虹のかなた」
- 2007年「どんど晴れ」
「どんど晴れ」より。比嘉愛未(左)とあき竹城さん(右)。 - 2008年「歓喜の歌」
- 2009年「天地人」
「天地人」 - 2010年「八日目の蝉」
ほか、数多くの作品に出演しています。
「あき竹城の夫との馴れ初めは?子供は?たこ八郎と交際していた?」に続く
女優として、「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」「スーパーの女」「マルタイの女」「小さいおうち」「私の青空」などの映画やテレビドラマに出演するほか、タレントとしても、明るく親しみやすい人柄と軽快な山形弁で人気を博した、あき竹 …