2011年8月にロックバンド「MY FIRST STORY」を結成すると、2012年4月4日には、ファーストアルバム「MY FIRST STORY」でデビューを果たし、以降、圧倒的な高音ボイスと激情的なパフォーマンスで、ロックシーンに衝撃を与え続けている、「Hiro(ヒロ)」こと森内寛樹(もりうち ひろき)さん。

そんな森内寛樹(Hiro)さんは、お父さんの森進一さんとお母さんの森昌子さんのもとに誕生すると、8歳(小学3年生)の時にジャニーズJr.として芸能活動を開始し、先にジャニーズ入りしていた長兄の森内貴寛(Taka)さんと共演もしていたのですが、11歳の時にはジャニーズ事務所を退所し、芸能活動を辞めていたといいます。

今回は、森内寛樹(Hiro)さんの、生い立ち(幼少期から高校入学後に長兄の森内貴寛(Taka)さんと同居するまで)をご紹介します。

森内寛樹

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森内寛樹(Hiro)のプロフィール

森内寛樹(Hiro)さんは、1994年1月25日生まれ、
東京都の出身、

身長は158センチ(過去に本人が証言したとされています)、

血液型はA型、

学歴は、
渋谷区神南小学校
⇒多摩大学目黒高校中退

ちなみに、「森内寛樹」は本名で、「MY FIRST STORY」では「Hiro」名義で活動し、ソロでは本名の「森内寛樹」名義で活動しています。

森内寛樹(Hiro)が幼い頃は特に食事のマナーについて厳しくしつけられていた

森内寛樹(Hiro)さんは、お父さんの森進一さんとお母さんの森昌子さんのもと、3人兄弟の末っ子として誕生すると、

幼い頃は、特に、食事のマナーについて厳しくしつけられたそうで、箸の持ち方を間違えただけでも、ご飯を下げられたこともあったそうで、

森内寛樹(Hiro)さんは、

いろんな所に連れて行かれるし、そういう時に家族だけだったらいいけど、誰か居た時にウチの父親も恥かいちゃうから、イタリアンとか中華とかフレンチのコースの食べ方とかを一番最初に教わった

と、語っています。

森内寛樹(Hiro)の少年時代は運動することが好きだった

また、森内寛樹(Hiro)さんは、運動することが大好きだったことから、少年時代は、水泳教室や体操教室に通っていたそうです。

ただ、兄2人が通っていた名門私立小学校「慶應義塾幼稚舎」を受験するも、不合格となり、3人兄弟のうち、一人だけ、公立の小学校に通うことになったそうで、勉強は苦手だったようです。

森内寛樹(Hiro)は8歳(小学校3年生)の時にジャニーズJr.として活動を開始していた

そんな森内寛樹(Hiro)さんは、2002年12月1日、8歳(小学校3年生)の時には、ジャニーズ事務所に入所し、ジャニーズJr.として活動を開始すると、

当時、最年少だったことや、長兄の森内貴寛(Taka)さん(2001年8月ジャニーズ事務所入所)との兄弟での共演も多く、注目を集めました。

森内寛樹とTaka
ジャニースJr.時代の長兄の森内貴寛(Taka)さん(左)と森内寛樹(Hiro)さん(右)。

森内寛樹(Hiro)が11歳の時にジャニーズ事務所を退所した理由とは?

ただ、森内寛樹(Hiro)さんは、2005年、11歳の時に、ジャニーズ事務所を退所しています。

そして、その気になる理由ですが、主に3つの理由が考えられています。

イジメ

一つは、お父さんが森進一さん、お母さんが森昌子さんであることから、「コネ入所」「親の七光り」「兄の二番煎じ」などと言われて、イジメられていた、という話があります。

父親・森進一と母親・森昌子の離婚

また、両親の離婚によるものだと言われています。

森進一さんと森昌子さんは、2005年4月、森内寛樹(Hiro)さんが11歳(小学6年生になったばかり)の時に離婚しており、森内寛樹(Hiro)さんのジャニーズ事務所退所のタイミングと重なっているのですが、

両親が離婚後、森内寛樹(Hiro)さんは、お母さんの森昌子さんと暮らすことになり、別の場所に引っ越したことから、ジャニーズ事務所に通うのが難しくなり、退所せざるを得なくなったのでは、と言われていますが、真偽は不明です。

(3人兄弟のうち、森内寛樹(Hiro)さんだけがお母さんに引き取られ、兄2人はお父さんに引き取られたそうで、森内寛樹(Hiro)さんがお兄さんたちと再会したのは中学3年生の時だったそうです)

ダンスの才能がなかった?

さらに、森内寛樹(Hiro)さんは、ダンスレッスンの際、

ダンスの才能がない

と、言われ、アイドルの道を断念したとも言われていますが、こちらも真偽は不明です。

森内寛樹(Hiro)は小学6年生の時から一般人として過ごすようになっていた

さておき、その後、森内寛樹(Hiro)さんは、芸能活動を休止し、一般人として過ごすようになったそうで、

森内寛樹(Hiro)さんは、

ウチの家族全員一緒に過ごしていたのは小学校5年生ぐらいまでだった。両親が離婚して、俺は母ちゃんの方についていって、そこからは割と普通の暮らしだったはず。

一般的よりはちょっと良い暮らしだったと思うんですけど、それでもみんな勢ぞろいのころほどではないから、そこでいろんなものが全部、『あ…、あ…』ってなっていった(ファミリーレストランでドリンクバーを利用するなど、だんだん生活が質素になっていった)

と、語っています。

森内寛樹(Hiro)は中学・高校時代に合唱コンクールで女子と一緒にソプラノを務めるほど高音ボイスだった

それでも、森内寛樹(Hiro)さんの特徴的な高音ボイスは、この頃から際立っていたようで、

中学・高校時代の合唱コンクールでは、女子と一緒にソプラノパートを務めるほど声が高かったそうです。

森内寛樹(Hiro)は中学・高校時代にはイジメに遭っていた

一方で、森内寛樹(Hiro)さんは、中学・高校時代、イジメにも遭っていたようで、

森内寛樹(Hiro)さんは、インタビューで、

僕は10代の頃は、あんまり学校に行ってなくて、結構見た目的にヒエラルキーのトップの方にいがちと思われそうなんですけど、

相当最下層に僕はいたので、めちゃくちゃ学校っていうものもしんどかったですし、今でもなんですけど、そんなに友達が多いタイプじゃないので、結構10代の頃は明るい思い出って、そんなにないかもしれないです。

さっきも言った通り、僕もちょっと中学高校の頃は友達も少なかったですし、どっちかっていうといじめられてた思い出がすごくあったので。

でも、そういう時って本当にどこにも逃げ場がないんですよね。学校っていう社会が全て過ぎて。で、それを人に話すのも恥ずかしいし、親にはちょっとバレたくないみたいな、子供ながらのちょっとカッコつけたい部分もあるし。

やり場のない想いみたいなのがすごくあったので、それを自分が感じているから、それをきっと他の人も感じてるだろうなって、そこに視点を向けられるっていうのは素晴らしいことだと思うんですけどね

などと、語っています。

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森内寛樹(Hiro)は高校入学を機に長兄の森内貴寛(Taka)と同居するようになっていた

そんな森内寛樹(Hiro)さんは、高校入学をきっかけに、一人暮らしをしていた長兄の森内貴寛(Taka)さんの家で一緒に同居するようになったそうで、そこから高校に通うようになったそうですが、

森内貴寛(Taka)さんから音楽や英語を教わるようになると、それが高校に行くよりも楽しく、高校1~2年生の頃は、自然と高校に行く回数が減っていったのだそうです。

「【画像】森内寛樹の若い頃(マイファス以降)から現在までの作品ほか経歴は?」に続く

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