1968年、テレビドラマ「キイハンター」でメインキャストの一人・島竜彦役を演じると、端正なルックスでたちまちブレイクした、谷隼人(たに はやと)さん。
そんな谷隼人さんは、中学3年生の時に、「少年ケニヤ」でテレビドラマデビューすると、中学卒業後は、一旦、高校に進学するも、2年で中退し、夜の仕事をしていた中、日活にスカウトされ、17歳の時には、日活映画「学園広場」で映画デビューもしていました。
今回は、谷隼人さんの生い立ち(幼少期から日活を退社するまで)を時系列でご紹介します。

谷隼人のプロフィール
谷隼人さんは、1946年9月9日生まれ、
鹿児島県の出身(長崎県佐世保育ち)、
身長179センチ、
血液型はA型、
学歴は、
中野区立第八中学校
⇒中野区立北中野中学校へ編入(中学2年生の時)
⇒聖パウロ学園高等学校中退
だそうです。
谷隼人はハーフ?本名は?旧芸名は?芸名の由来は?
谷隼人さんは、端正な顔立ちから「ハーフ」と言われることが多いのですが、
両親ともに日本人で、本名も「岩谷肇(いわたに はじめ)」といい、純日本人です。
ちなみに、最初、谷隼人さんは、本名の「岩谷肇」で活動をスタートすると、やがては、現在の「谷隼人」という芸名を使うようになっているのですが、
これは、川口義宏さんと小林信吾さんに、東映にスカウトされた際、名前を聞かれ、
岩谷です
と、答えると、
堅いなあ、生まれは?
と、言われたそうで、
鹿児島の隼人に近い所です
と、答えると、
うーん…何かねえかなあ、岩谷隼人…あ!岩いらねえや、谷隼人
と、僅か3分で芸名が決まったのだそうです(笑)
(「岩谷 隆広(いわたに たかひろ)」名義で活動していたこともあったそうです)
谷隼人が幼い頃は父親の意向で家族が別居していた
谷隼人さんは、元軍人で防衛庁に勤務していたお父さんのもと、5人きょうだい(姉3人、妹1人)の長男として誕生したそうですが、
幼い頃は、お父さんの、
姉3人に妹1人という女所帯で育つと、女々しくなる
という考えや、経済的な事情により、
お母さんの実家がある長崎県佐世保市で、家族が2箇所に別れて生活をしたそうで、
お母さんと姉3人は、お母さんの実家で暮らし、谷隼人さんは、お父さん、妹と暮らしたそうです。
谷隼人は中学3年生の時(14歳)「少年ケニヤ」でテレビドラマデビュー
その後、谷隼人さんは、小学5年生の時、お父さんの転勤に伴い、お母さんと妹と共に佐世保から東京都中野区へ転居したそうですが、
1961年、中学3年生の夏休み(14歳)には、「少年ケニヤ」に本名の「岩谷肇」名義で出演し、テレビドラマデビューしたそうです。

「少年ケニヤ」より。
谷隼人は17歳の時に日活に入社し「学園広場」に出演していた
そんな谷隼人さんは、中学卒業後は高校に進学するも、学校の勉強が好きではなかったことから、夜の商売を始めると、高校を2年で中退したそうですが、
そんな中、日活にスカウトされて入社すると、1963年、17歳の時には、日活映画「学園広場」に出演したそうです。

「学園広場」より。
ちなみに、谷隼人さんが日活に入社した経緯については、
高校在学中の1963年春、憧れだった石原裕次郎さんが所属する、日活のニューフェイスの試験を受けて合格し、高校を2年で中退
というのが通説となっていますが、
谷隼人さん本人がこの話を否定しており、ニューフェイスではなく、日活はアルバイトのような感覚だったといいます。
谷隼人は17歳頃から代々木のスナックでコック見習いとして働き自分の店を持つことを夢見ていた
また、谷隼人さんは、この頃、知り合いの紹介で、代々木のスナックでコックの見習いをするようになっていたそうで、料理の経験が全くなかった谷隼人さんは、しょっちゅう怒られ、コックの修業はとても辛かったそうですが、
働き始めて1年が過ぎた頃、自身が作ったスパゲッティをお客さんが「美味しい」と言って食べているのを見て、感動したそうで、
料理を身につけたら、何かが変わるかもしれない
と、料理に打ち込むようになると、
やがては、スナックを辞めて、喫茶店で働くようになり、ますます料理に夢中になったそうで、
谷隼人さんは、
そのころの俺といったら、学歴もなく打ち込めるものもなく、夢もなかった。そんな俺の作ったスパゲティをお客が『美味しい』と言って食べているのを見たらものすごく感動しちゃってさ。俺にもできることがあるんだって自信が持てたんだ。
それからはお客をもっと喜ばせるにはどうしたらいいだろうって、考えるようになったね。ドリンクの種類を増やそうとか、お酒も作れるようになろうとか。自分が店を持ったときのことまで考えるようになってワクワクしたよ。昔も今も、人を喜ばせることが好きなんだ
と、語っています。
谷隼人は18歳で日活を退社していた
そんな中、谷隼人さんは、日活での活動も順調で、次々と映画に出演するようになったそうですが、
ある日のこと、撮影で崖から海面に飛び込むシーンがあり、誰もが恐怖に怯え、怖気づいていたことから、
谷隼人さんが、真っ先に、
僕にやらせて下さい!
と、海に飛び込んだそうですが・・・
海から上がってきた谷隼人さんを待っていたのは、称賛ではなく、その場にいた俳優たちからの、
何て恐ろしくも卑しい奴だ!そうまでして自分だけ良く見られたいのか!
という激しい罵(ののし)りの言葉だったそうで、
谷隼人さんは、善意で行ったことに対し、そのような物の見方しかできない理不尽な人々に嫌気が差し、18歳の時、日活を退社したのだそうです。
「【画像】谷隼人の若い頃から現在までの出演ドラマ映画バラエティは?」に続く
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1966年に東映入社後は、高倉健さんの薫陶を受けながら「網走番外地」などの映画で活躍し、1968年には、テレビドラマ「キイハンター」で大ブレイクすると、端正な容姿で”和製アラン・ドロン“と呼ばれ、 …



