東映のアクションスターとして活躍されると、1968年には、テレビドラマ「キイハンター」でメインキャストの一人、島竜彦役を演じて、たちまちブレイクされた、谷隼人(たに はやと)さん。彫りの深い顔立ちから、「和製アラン・ドロン」と呼ばれ、若い女性を中心に絶大な人気を博しました。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

谷さんは、1946年9月9日生まれ、
鹿児島県のご出身、

身長179センチ、

血液型はAB型、

本名は、
岩谷 肇(いわたに はじめ)、

旧芸名は、
岩谷 隆広(いわたに たかひろ)、

学歴は、
中野区立第八中学校
⇒中野区立北中野中学校へ編入
⇒聖パウロ学園高等学校中退

だそうです。

日活に入社するも・・・

谷さんは、1961年、中学3年生の夏休み、
「少年ケニヤ」に、本名の「岩谷肇」名義で、
テレビドラマデビューされると、

「少年ケニヤ」より。

高校在学中の1963年春には、
憧れだった石原裕次郎さんが所属する、
日活のニューフェイスの試験を受けて合格。

こうして、高校を2年で中退し、
同年、日活の映画「学園広場」に出演されると、

「学園広場」より。

以降、次々と映画に出演されるようになり、
順調なスタートを切ったと思われたのですが・・・

日活を退社

ある日のこと、撮影で崖から海面に飛び込むシーンがあり、
誰もが恐怖に怯え、怖気づいていたところ、

谷さんが真っ先に、

僕にやらせて下さい!

と、海に飛び込むと、

海から上がっきた谷さんを待っていたのは、
称賛ではなく、その場にいた俳優たちからの、

何て恐ろしくも卑しい奴だ!
そうまでして自分だけ良く見られたいのか!

という激しい罵(ののし)りの言葉だったそうで、

谷さんは、善意で行ったことに対し、
そのようなものの見方しかできない理不尽な人々に嫌気が差し、
(1964年か1965年頃)日活を退社されたのでした。

東映に入社、高倉健に憧れる

こうして映画界と決別した谷さんは、しばらくの間、
代々木のスナックでバーテンダーとして働くと、
東映にスカウトされて、東映に入社。

1966年には、映画「非行少女ヨーコ」に、
ヒロイン緑魔子さんの相手役として出演し、

「非行少女ヨーコ」より。谷さんと緑魔子さん。

東映2本目の映画「網走番外地荒野の対決」では、
高倉健さんと初共演されるのですが、

「網走番外地荒野の対決」の撮影が全部終わった時のこと、
当時19歳だった谷さんが、

ありがとうございました!

と、挨拶され、顔を上げると、
そこには高倉さんの姿が。

そして、高倉さんから、

お疲れ。お前、金あるか

と聞かれたため、

あります!

と答えると、なんと、高倉さんは、

バカ野郎、格好つけんな

と言って、ポンと2万円を渡されたというのです。

(現在の貨幣価値で換算すると8万2000円!)

それ以来、谷さんは、
高倉さんのかっこよさに夢中になったそうで、

そんな谷さんだからか、
高倉さんからもとても可愛がられ、

演技についてはもちろん、海外の映画、
ファッション、車ほか様々なことを教えてもらい、
お金や洋服などももらったそうで、

特に、

健さんの目配り、気配り、人に対する優しさ
──それだけは忘れずに生きていますから。

これからの俺の仕事や生き方でそういうことが伝わればいいな、
とは思っていますけどね。

と、おっしゃっていました。

写真は「網走番外地 吹雪の斗争」より。高倉健さんと谷さん。

ちなみに、高倉さんがジムに連れて行ってくれる時は、
谷さんは、必ず高倉さんの背中を流し、その後、
保湿クリームを塗ってあげていたそうで、

それを見た外国人のお客さんに、
ホモに間違われたこともあったそうですが、

それでも、谷さんは、
何と言われようがどうでもいいと思うほど、
高倉さんが好きだったそうです。

「キイハンター」で大ブレイク~「和製アラン・ドロン」として

そんな谷さんは、その後も、「網走番外地シリーズ」
「不良番長シリーズ」「夜の歌謡シリーズ」
など、
東映のアクションスターとして活躍されると、

1968年春から放送がスタートした、
テレビドラマ「キイハンター」では、
メインキャストの一人、島竜彦役に抜擢。

丹波哲郎さん、千葉真一さんら、当時のスターと共に共演され、
ドラマがヒットしたことで、谷さんもたちまちブレイクされています。

「キイハンター」より。(左から)丹波哲郎さん、
谷さん、野際陽子さん、大川栄子さん、千葉真一さん。

ちなみに、谷さんは、目鼻立ちのはっきりした、
日本人離れした美貌から、「和製アラン・ドロン」と言われ、
若い女性を中心に絶大な人気を博したそうです。

(アラン・ドロンは、フランスの二枚目俳優で、
 1960年代、日本で大ブレイクしました)

「Gメン’75」の出演依頼を断る

谷さんは、その後も、

1973~1974年「アイフル大作戦」
1974~1975年「バーディー大作戦」

「アイフル大作戦」より。(左から)松岡きっこさん、小川真由美さん、
川口厚さん、谷さん、西田健さん、杉浦直樹さん。

「バーディー大作戦」より。(後列左から)松岡きっこさん、倉田保昭さん、岡本富士太さん、
(前列左から)安西マリアさん、丹波哲郎さん、川口厚さん、谷さん。

と、丹波さんと共にTBS土曜9時枠の、
連続ドラマの顔として活躍されるのですが、

「バーディー大作戦」の後継番組であった
「Gメン’75」(1975~1982年)への出演依頼は、

そろそろ、アクションものから卒業したい

との理由で断られ、

その後、原田大二郎さんが、
谷さんの代わりに起用されると、

原田さんはこのドラマで、
一躍ブレイクされています。

ちなみに、谷さんは、後に、
「Gメン’75」を断った理由を、

キイハンター以前からアクション映画に出ておりましたけどね、
人を殴るのがどうも苦手で・・・

バーディ大作戦が後半に差し掛かった頃に、
「寺内貫太郎一家2」の話が来ましてね、

ずっとアクションをやって来たから、
ホームドラマもいいかなと思ったんです。

丹波さんからは、「谷も続けて出るよな?」
(バーディ大作戦に続いてGメン’75に出演の意味)
と言われましたけど。

と明かされています。

バラエティ、旅番組のレポーターとして

こうして、谷さんは、アクション俳優からの転身を図って、
1975年、ホームドラマ「寺内貫太郎一家2」
に出演されるのですが、次第に人気は低迷。

「寺内貫太郎一家2」より。(手前)谷隼人さん、(奥左から)西城秀樹さん、樹木希林さん、
風吹さん、池内淳子さん、小林亜星さん、浅田美代子さん。

以降、地道に、映画やテレビドラマへの、
出演を重ねられると、

1986年には、「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」
で、バラエティ番組にも進出。

「風雲!たけし城」で攻撃隊長を務める谷さん。

その後も、バラエティ番組のほか、
近年は旅番組にレポーターとして出演されています。

出演作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、
谷さんの出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1967年「ある勇気の記録」29話
1968年「キイハンター」
1969年「柔道一直線」第1話
1973年「アイフル大作戦」
1974年「バーディー大作戦」

1975年「燃える捜査網」
1976年「大非常線」
1977年「終わりなき負債」
1978年「熱中時代」
1979年「雲霧仁左衛門」

「熱中時代」より。池上季実子さんと谷さん。

1980年「なぜか初恋・南風」※岩谷隆広名義
1981年「ザ・ハングマン」第28話
1982年「大岡越前」
1983年 NHK大河ドラマ「徳川家康」
1985年「刑事物語’85 」第2話

「ザ・ハングマン」より。

1986年「花嫁衣裳は誰が着る」
1987年「光戦隊マスクマン」
1990年「テニス少女夢伝説!愛と響子」
1992年「大空港’92」
1998年「三姉妹探偵団」

2003年「ちゅらさん2」
2005年「特命係長 只野仁SP」
2006年「天才てれびくんMAX」
2007年「火曜ドラマゴールド」
2015年「ナポレオンの村」

映画では、

1963年「学園広場」
1964年「月曜日のユカ」
1966年「夜の青春シリーズ 赤い夜光虫」
1967年「残侠あばれ肌」
1968年「あゝ海軍」
1969年「夜の歌謡シリーズ」

1969年「不良番長シリーズ」
1970年「経験」
1971年「ずべ公番長 はまぐれ数え唄」
1972年「不良街」
1973年「非情学園ワル」

「非情学園ワル」より。男前すぎます!

1974年「聖獣学園」
1975年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
1976年「ラグビー野郎」
1979年「ピーマン80」
1985年「女帝」
1987年「劇場版 光戦隊マスクマン」

「ピーマン80」より。新井康弘さん、真行寺君枝さん、谷さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

嫁は?

そんな谷さんの、
気になるプライベートですが、

谷さんは、1971年、
ファッションモデルの岡美智子さんと結婚されています。

谷村さんは、1969年、
岡さんのマネージャーの紹介で岡さんと知り合うと、
たちまち恋に落ち、結婚を考えるようになるのですが、

当時、谷さんは、高倉健さんに継ぐ次世代のスターとして、
東映の期待を一身に背負っていたことから、
東映はこの結婚に猛反対。

さらに、谷さんのご両親も、有名女優でもない、
ただのファッションモデルだった岡さんとの結婚に、
そろって猛反対されたそうですが、

それらを乗り越え、1971年の夏、
小学生の時から思い描いていた、スイスの教会で、
結婚式を挙げられたそうです♪

離婚理由

しかし、早くも、
1974年には離婚。

離婚の理由は、谷さんのお母さんが、
岡さんを嫁として好まなかった為とされていましたが、

後に、女性週刊誌に(岡さんによる暴露)、
谷さんが、女優の松岡きっこさんと、
不倫関係であったことが原因と報道されています。

ちなみに、岡さんは、
婚姻中から薬物に依存していたそうで、
離婚後は精神科に入院。

現在はどうされているのか、
分かりませんでした。

松岡きっこと再婚

一方、谷さんはというと、
1981年に不倫相手だった松岡きっこさんと再婚。

お二人は高校時代からの知り合いで、
「キーハンター」「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」
で共演されたことで仲良くなられたそうで、

「アイフル大作戦」での松岡きっこさんと谷さん。

結婚後は、松岡さんが谷さんに、
下着をはかせてあげたり、お風呂あがりにバスタオルで、
体をふいてあげるほど尽くされているそうです♪

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フライデー

そんなお二人ですが、1986年には、早くも谷さんが、
女優の小田かおるさんと車の中でキスをしているところを、
写真週刊誌「FRIDAY」に撮られてしまい、
不倫スキャンダルとして大々的な報道。

またもや・・・と思われたのですが、

谷さんが取材に対し、

別に大したことじゃない。
オレだって男だもの、酔っぱらったら女の子とキスぐらいしますよ。

と悪びれることなく答えられると、

奥さんの松岡さんも、

男ですからそういうことがあってもしようがないと思っています。
たとえ浮気をしたとしても、誰よりも私を大切にしてくれています。

と、答えられており、

以降、お二人の関係は良好なようで、
近年はご夫婦そろってバラエティ番組に数多く出演し、
仲睦まじい姿を見せられています♪

さて、いかがでしたでしょうか?

奥さんの松岡さんにパンツをはかせてもらっていることから、
すっかり亭主関白のキャラが定着してしまった谷さんですが、

実際には、13年もの間、「下肢静脈りゅう」で悩まされ続けてきた、
松岡さんを支え続けてこられたほか、

6年前(2008年)に彼女の母親を事故で亡くしてからは、
ぼくが彼女を守らないといけないと思いました。

母ひとり、娘ひとりの家族でしたし、一緒に暮らしていましたから。

亡くなったとき、きっこさんは相当ショックで、
9キロも体重が落ちてしまったんです。

と、お母さんを亡くした松岡さんの、
精神的な支えにもなられていたとのことで、
お二人は、見た目以上に強い絆で結ばれているようですね。

末永くお幸せに♪

https://www.youtube.com/watch?v=i-jIcIf8C-U

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