1964年、20歳の時、「二匹の牝犬」の主演に抜擢されて映画デビューすると、映画は大ヒットを記録し、以降、「夜の青春シリーズ」「非行少女ヨーコ」などに出演し、東映退社後は、谷口千吉監督、大島渚監督、山田洋次監督など、多くの著名監督の作品に著名な俳優らと共演した、緑魔子(みどり まこ)さん。

今回は、そんな緑魔子さんの若い頃から現在までの出演映画や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。

緑魔子

「緑魔子の生い立ちは?幼少期から貧しく大学進学を断念し上京してホステスをしていた!」からの続き

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緑魔子は20歳の時に「二匹の牝犬」の主演に抜擢されて映画デビュー

1963年、19歳の時に、「オール東宝ニュータレント3期生」として東宝に入社すると、6ヶ月間の研修を経て、東宝テレビ部に在籍していた緑魔子さんですが、

1964年、20歳の時、「二匹の牝犬」を監督する渡邊祐介さんが、ヒロインを探すため、NETテレビ(現・テレビ朝日)へ立ち寄った際、ディレクターの机にあった緑魔子さんの写真を見て、「求めるイメージに近い」と、緑魔子さんはカメラテストを経て主演に抜擢(東映に移籍)されたそうで、

同年には、「二匹の牝犬」で映画デビューすると、劇中、大胆なヌード姿を披露して映画は大ヒットを記録し、緑魔子さんも、体当たりの演技が評価され、「第15回(1964年度)ブルーリボン賞」を受賞しています。

緑魔子
「二匹の牝犬」より。

ちなみに、東映の岡田茂社長は、九州なまりがひどく、芝居が素人同然だった緑魔子さんの起用を、

そんな女を使って、フィルムがメチャクチャになるぞ

と、反対したそうですが、

緑魔子さんは、懸命に演技を勉強するほか、(当時としてはなかり衝撃的だった)全裸のシャワーシーンを演じるなど大胆な姿も披露し、新劇出身の共演者に囲まれながらも強烈な存在感を放っていたそうで、

渡邊祐介監督さんは、

東宝演劇部に席を置くというだけの全くの素人に近い人だった

映画のエの字も知らない子だったが、ただ眼玉が人並み外れて素晴らしかった

スターは会社が作るというが、50%は彼女自身が作り上げた

と、緑魔子さんを絶賛しています。

緑魔子が21歳の時には梅宮辰夫と共演の「夜の青春シリーズ」がヒット

そんな緑魔子さんは、1965年、21歳の時には、映画「ひも」で梅宮辰夫さんと主演を務めるとヒットし、

その後も、

  • 1965年「いろ」
  • 1965年「かも」
    「かも」
    「かも」より。梅宮辰夫さんと緑魔子さん。
  • 1965年「夜の悪女」
    「夜の悪女」
    「夜の悪女」より。緑魔子さんと梅宮辰夫さん。
  • 1965年「夜の牝犬」
  • 1966年「赤い夜光虫」

と、「夜の青春シリーズ」としてヒットしています。

緑魔子が22歳の時には映画「非行少女ヨーコ」で主演

また、緑魔子さんは、1966年、22歳の時には、映画「非行少女ヨーコ」で主人公のヨーコ役を演じているのですが、

若い頃の自分を見ると、自分だとは全く思えないです。ちょっと恥ずかしい。逆に若いときは分からなかったことが今は理解できます。あのときは自分のことばかり見ていたので。

今、客観的に映画を見たら、そういう意味でものすごく新鮮でした、ちょっと変わった映画というか、都会的な映画という感じがしました。

と、語っています。

「非行少女ヨーコ」
「非行少女ヨーコ」より。

緑魔子は24歳の時に岡田茂に反抗して東映を解雇されていた

こうして、緑魔子さんは、東映の専属女優として27作品のプログラムピクチャー(映画を2本立てで興行する際に、添え物として上映される短い方の映画のこと)に出演するのですが、

「夜の青春シリーズ」のような悪女役ばかりをやらされることに、我慢の限界となったそうで、

東映の岡田茂社長に、

私はこういうのやりたくないです

と、訴えると、

岡田茂社長には、

そんなことじゃ映画界ではやっていけないから、東映を出て映画館の切符売りにでも何でもなっちまえ

と、言われたそうで、

緑魔子さんは、

いいです切符売りになります

と、1968年、24歳の時、東映を解雇されてしまったのだそうです。

緑魔子は24歳の時に増村保造監督作品「大悪党」に出演

ただ、フリーになった緑魔子さんは、確かな演技と唯一無二のムード、納得すれば全裸になることも厭わない姿勢が評価されて、他の映画会社やテレビから引っ張りだことなり、出演オファーが殺到したそうで、

1968年、24歳の時には、増村保造監督のクライム・サスペンス「大悪党」で、ヤクザ・安井(佐藤慶さん)に卑劣な手段で脅迫される専門学校の生徒・芳子役を演じています。

「大悪党」
「大悪党」より。田宮二郎さんと緑魔子さん。

緑魔子は24歳の時に谷口千吉監督作品「カモとねぎ」で主演

また、緑魔子さんは、同年(1968年)、詐欺師集団の活躍をコミカルに描いた、谷口千吉監督作品「カモとねぎ」では主人公の麻美役を演じています。

「カモとねぎ」
「カモとねぎ」より。

緑魔子は24歳の時に大島渚監督作品「帰って来たヨッパライ」に出演

そして、同年(1968年)、大島渚監督作品「帰って来たヨッパライ」では、密航者を助ける謎の女性役で出演しています。

緑魔子
「帰って来たヨッパライ」より。

緑魔子は24歳の時に山田洋次監督作品「吹けば飛ぶよな男だが」でヒロイン

さらに、緑魔子さんは、同年(1968年)、山田洋次監督作品「吹けば飛ぶよな男だが」では、主人公の青年(なべおさみさん)に愛されるヒロインを演じています。

緑魔子
「吹けば飛ぶよな男だが」より。

緑魔子は25歳の時に江戸川乱歩原作の映画「盲獣」で盲目のマッサージ師に拉致監禁される女優の役

そんな緑魔子さんは、1969年、25歳の時には、江戸川乱歩原作の映画「盲獣」で、家に呼んだ盲目のマッサージ師(船越英二さん)に拉致監禁される女優を演じています。

緑魔子
「盲獣」より。

緑魔子は32歳の時には石橋蓮司とともに劇団「第七病棟」を立ち上げアングラ演劇のスターとして活躍

こうして、著名な映画監督の作品に、著名な俳優らと共演していた緑魔子さんですが、1960年代後半からは、アングラ芝居に傾倒し、1970年以降は、佐藤信さん主宰で黒テントと俗称される「演劇センター68/71」に出演しています。

そして、1976年、32歳の時には、石橋蓮司さんと劇団「第七病棟」を立ち上げると、使用されなくなった、銭湯、廃校、廃病院など、人から忘れられた建物を改造して劇場に見立て、唐十郎さんや山崎哲さんの戯曲でヒロインを演じ、アングラ演劇のスターとして活躍しています。

緑魔子

(劇団「第七病棟」は、4年に1度しか公演を打たなかったため、「幻の劇団」「オリンピック劇団」とも呼ばれていたそうですが、その後、石橋蓮司さんが腰を痛めたことが原因で、2000年の舞台「雨の棟」を最後に公演は行われていないようです)

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緑魔子の現在(80代)は?

その後、緑魔子さんは、時々、テレビドラマや映画に出演するなど、女優業を続けていたようですが、2023年、79歳頃には、体調を崩して入院していたそうです。

ただ、2024年9月7日には、「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」の特集企画「生誕100年 増村保造新発見!~決断する女たち~」のトークイベントに出席して、元気な姿を見せており、

主演を務めた「盲獣」の増村保造監督との思い出を、

撮影が始まったのが1月で寒くて寒くて。撮影が終わって監督から『寒い思いをさせてごめんね。』と謝られ、六本木でステーキをごちそうになりました

インテリでシャイでエゴイスティックだった監督。映画が当たらなくてかわいそうでしたね。でもいま見直されているということは、描く内容が(時代的に)早過ぎたのかな

(緑魔子さんは、この映画に原作があることを知らなかったそうで)でもこの映画で監督は何を言いたかったんですかね。ご覧になった方でよく分かった人がいたら教えてほしいです

と、少女のように澄んだ声で語っています。

「緑魔子の夫・石橋蓮司との馴れ初めは?40年近く別居も仲良し!子供は娘1人!」に続く

緑魔子

お読みいただきありがとうございました

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