1976年には、女優の緑魔子(みどり まこ)さんと劇団「第七病棟」を立ち上げている、石橋蓮司(いしばし れんじ)さんですが、実は、緑魔子さんは、プライベートでも石橋蓮司さんのパートナーでした。
今回は、そんなお二人の出会いから結婚に至るまでの経緯などをご紹介します。
「石橋蓮司のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
石橋蓮司は東映のスター女優・緑魔子と格差交際していた
石橋蓮司さんと緑魔子さんは、1965年、映画「かも」での共演で知り合い、その後、「非行少女ヨーコ」や「男なんてなにさ」などで共演が重なり、交際に発展したそうですが、
当時、石橋蓮司さんが、蜷川幸雄さんや蟹江敬三さんらと劇団を旗揚げしたばかりの無名の新劇の俳優だった一方で、緑魔子さんはというと、抜群のスタイルでグラビア等で活躍し、その小悪魔的な容姿とけだるい雰囲気で、すでに東映のスター女優でした。
「非行少女ヨーコ」より。緑魔子さんと石橋蓮司さん。
そんな歴然の差があった二人ですが、緑魔子さんは、スター女優にもかかわらず、一杯飲み屋や新宿ゴールデン街の汚いバーがお気に入りという、飾らない人柄だったせいか、
石橋蓮司さんが緑魔子さんに「お前さあ」とため口で話しかけると、緑魔子さんも、普通なら激怒しそうなものを、なんとなく石橋蓮司さんが気に入ったそうで、
石橋蓮司さんとの関係をスクープされた時にも、
彼は新劇の俳優なの。 新劇の俳優と付き合う事は女優としてメリットのあること。
と、語っていたといいます。
(当時、このスクープは、緑魔子さんのスクープ記事として報道され、「石橋蓮司?誰それ?」というのが世間一般の反応だったそうです)
若い頃の緑魔子さん。
石橋蓮司が緑魔子のマンションに転がり込み同棲を開始していた
そんな二人ですが、1967年、緑魔子さんが、最愛の姉を亡くしたショックで「自律神経失調症」になり、一時は郷里に帰るほど体調を崩すのですが、そんな緑魔子さんの傍らで心の支えになっていたのが石橋蓮司さんだったそうで、
こうして、二人は、着実に愛を深めると、1971年、ATG映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」で共演した頃くらいから、石橋蓮司さんが緑魔子さんの渋谷区のマンションに転がり込む形で同棲生活をスタートさせたそうです。
石橋蓮司と緑魔子は子供(娘)が小学校に上がる時にようやく入籍していた
すると、緑魔子さんは、まもなく妊娠し、女の子が誕生。
(緑魔子さんは、常日頃、「子供は好きじゃない」と言っていたそうですが、自然の成り行きに任せた結果の妊娠だったそうです)
ただ、形式を嫌ったお二人は、すぐには籍を入れなかったそうで、1979年、娘さんが小学校に上がる頃、女性の担任教師から、
手続き上、いろいろ面倒だから籍を入れたらどうか
と、提案されたことで、
まあそれでもいいか
と、ようやく、1979年、お二人は、晴れて入籍し、法律上でも夫婦となったのだそうです。
(籍を入れるか入れないかで言い争うほどの思い入れは、この時すでに二人にはなかったそうで、どちらでも良いという感覚だったそうです)
石橋蓮司と緑魔子は30年以上も別居中も仲が悪い訳ではない?
そんなお二人ですが、1987年、石橋蓮司さんが仕事場を借りると、自宅にほとんど戻らなくなってしまったそうで、以降、なんと、2024年現在に至るまで、30年以上も別居状態だといいます。
ただ、某芸能記者によると、
2人でいるとすぐにケンカになってしまうというのが別居の理由。でも、一緒に芝居もするし競馬にも行く。夫婦というより同志という関係なんでしょうね
と、仲が悪い訳ではないようです。
石橋蓮司は30代美女と半同棲生活中?
また、2012年には、石橋蓮司さんは、30代の美女と半同棲生活を送っていることが、「週刊女性」(10月2日発売)により報じられているのですが、
石橋蓮司さんは、「週刊女性」の取材に対し、
彼女は女優志望の子。飯作ってくれたり、洗濯をしてくれたりしているだけだからね。それは普通じゃない?
と、暗に認めつつも、
20年以上別居していて、そこで何か大きな問題があったわけもないし、子供や孫もいるしね。あいつは、ある意味では同志であり、ある意味では一緒に闘ってきた人間なんだよ。それを何で切るんだよ
と、緑魔子さんとの離婚は否定されており、もはや、緑魔子さんとは、愛とか、好きとか、そういうレベルを超越しているようです(笑)