1964年、「二匹の牝犬」で映画デビューすると、以降、大きな瞳やエキゾチックな魅力で、強烈な個性を放ち、悪女役を多く演じて人気を博した、緑魔子(みどり まこ)さんですが、
実家は幼い頃から貧しかったそうで、高校時代は英語が得意で将来は英語を活かした職業に就きたいと大学進学を希望するも、経済的な理由で断念し、高校卒業後は、上京して、家政婦やホステスとして働いていたといいます。
今回は、そんな緑魔子さんの、生い立ち(幼少期から東宝入社まで)をご紹介します。
緑魔子のプロフィール
緑魔子さんは、1944年3月26日生まれ、
台湾台北州台北市の出身、
宮崎県児湯郡高鍋町育ち、
身長157センチ、
血液型はA型、
学歴は、
宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業
だそうです。
緑魔子の本名は?芸名の由来は?
ちなみに、緑魔子さんの本名は、石橋良子(旧姓・小島)というそうですが、
芸名の「緑魔子」の由来は、1964年、「二匹の牝犬」で映画デビューするにあたり、東映の岡田茂社長により、
映画の配役イメージと”緑という新鮮な色の魔性を秘めた女”
という意味を込めて名付けられたそうで、
緑魔子さんは、
本名が平凡なのでこの芸名には驚いた
そのまま本名で出ていたら、全然違った女優になっていたかもしれない
と、語っています。
(東宝テレビ部に在籍していた時は、「島蓉子」名義で活動していたそうです)
緑魔子が幼い頃は貧しかった
緑魔子さんは、太平洋戦争中、日本統治下の台湾・台北市で誕生すると、終戦後には帰国し、高校卒業まで宮崎県児湯郡高鍋町で育ったそうですが、
家計は貧しく、高校生の時には、中学生の家庭教師のアルバイトをしていたそうです。
緑魔子は高校2年生の時に英語の弁論大会の九州地区で1位に輝いていた
また、緑魔子さんは、英会話が得意だったそうで、高校2年生の時には、英語の弁論大会で、九州地区で1位に輝いたこともあったそうです。
緑魔子は高校卒業後は経済的な理由で大学進学を断念していた
そんな緑魔子さんは、高校卒業後は大学へ進学して、将来は英語を活かす仕事に就きたいと考えていたそうですが、経済的な理由で大学に進学することは叶わなかったそうです。
緑魔子は19歳の時に「オール東宝ニュータレント3期生」として東宝に入社していた
そんな中、緑魔子さんは、高校卒業後は上京し、家政婦やバーのホステスなどの仕事をしていたそうですが、やがて、女優を目指すようになり、NHK演技研究所に在籍して演技を学んだそうです。
そして、1963年、19歳の時には、「オール東宝ニュータレント3期生」として東宝に入社すると、6ヶ月間の研修を経て、東宝テレビ部に在籍したそうですが、
この頃の緑魔子さんは、ただ、東宝テレビ部に在籍しているだけのズブの素人同然だったといいます。
「【画像】緑魔子の若い頃は?デビューから現在までの出演映画を時系列まとめ!」に続く
1964年、20歳の時、「二匹の牝犬」の主演に抜擢されて映画デビューすると、映画は大ヒットを記録し、以降、「夜の青春シリーズ」「非行少女ヨーコ」などに出演し、東映退社後は、谷口千吉監督、大島渚監督、山田洋次監督など、多く …