明るく愛情あふれる演技に定評があり、優しいお母さんの役を多く演じられている、風吹ジュン(ふぶき じゅん)さん。今回は、そんな風吹さんの生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

風吹さんは、1952年5月12日生まれ、
富山県婦負郡八尾町(現・富山市)のご出身、
(京都市山科区育ち)

身長157センチ、

血液型はB型、

学歴は、
高岡市立高陵中学校
⇒京都市立花山中学校卒業

趣味は、
中国茶、旅行、

ちなみに、風吹さんの先祖は豊臣軍の武士だったそうですが、年貢に苦しむ農民の味方をしていたことから、命を落とした後には、村人が名前を刻んだ石碑を建てたそうで、現在もその石碑は残っているそうです。

本名は?芸名の由来は?

ちなみに、風吹さんの本名は、「堀川麗子」なのですが、風が吹くように現れたから「風吹」、と事務所の担当者に名付けられたそうです。

そして、下の名前の方はというと、「風吹」に対して、語呂が良いことから「ジュン」となったのだそうです。

少女時代に両親が離婚

さて、風吹さんは、京都大学卒で高校の教師だったお父さんのもと、2人兄妹の妹として、富山県富山市八尾(やつお)町で誕生すると、3~4歳の頃には、地元の有名なお祭で、浴衣を着せられ、踊りの行列の先頭を歩かされたそうです。(風吹さん本人は、上手に踊ることができず、嫌で嫌でたまらなかったそうです。)

そんな裕福な家庭で、何不自由なく育ったかと思われた風吹さんですが、物心ついた時から、両親の仲は冷えきっていたそうで、風吹さんが小学校5年生の時には、ついに両親が離婚。

風吹さんと3歳年上のお兄さんは、お母さんに引き取られ、風吹さんは、お母さんの内職を手伝って暮らしていたそうですが、

風吹さんは、中学2年生(13歳)の時、お母さんから、

自分のことは自分で面倒見なさい

と、言われたそうです。

兄と二人で極貧生活

そのため、風吹さんは、お兄さんとともに家を出て、京都に移り住まれるのですが、狭い部屋(窓を開けると目の前が崖だったそうです)に住み、内職やアルバイトに明け暮れる日々を過ごし、生活はとても苦しかったそうです。

また、メインで働くお兄さんに代わり、台所に立つのは風吹さんの役割だったのですが、家計はいつも苦しく、買える食材は限られていたため、風吹さんは、育ち盛りの自分たちが肉を食べるにはどうしたらいいか考えた末、価格が手頃なひき肉を使い、見よう見まねで一生懸命ハンバーグを作ったそうで、風吹さんとお兄さんにとって、ハンバーグが唯一のごちそうだったそうです。

(特に、ハンバーグと冷たいコーラの組み合わせが最高においしかったそうです)

ちなみに、風吹さんは、いつしか、料理をすることが心の拠り所になっていったそうで、(何時頃かは不明ですが)縫製工場でアルバイトをして、そこで貯めたお金をはたいて、煮付け、惣菜、そばなどの有名店をはしごし、繊細な味付けやだしの魅力に目覚められたそうです。

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印象に残る美少女だった

そんな風吹さんは、2018年、NHKの情報番組「土曜スタジオパーク」(6月16日放送)にゲスト出演された際、転校を繰り返していた中学2年生の時のエピソードを明かされているのですが、

番組では、当時、同級生だったという男女がVTRで出演し、

転校してきた彼女は他の生徒と一線を画していた。言うなればリトル・マリリン・モンローだった

私たちとは違ってお姉さんっぽい感じだった

セーラー服の大きく開いた襟の間にある胸当てを、彼女だけはなぜか外して着ていたんです。だから首の下から胸元にかけて大きく開いていて、ドキドキしました

と、風吹さんについてコメント。

すると、風吹さんは、

そうそう、あれ(胸当て)邪魔だったから取ってたんですよ。よく覚えてるなぁ。中学2年の時だけ通ってた学校なのに

と、微笑まれているのですが、それほど、風吹さんは、印象に残る美少女だったようです。

「風吹ジュンは昔芸能事務所の事務員に応募しモデルで採用されていた!」に続く

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