1991年、トレンディドラマ「東京ラブストーリー」で、ヒロインと不倫関係だった上司役を演じ、たちまち脚光を浴びた、西岡徳馬(正式表記は西岡德馬)(にしおか とくま)さん。
そんな西岡徳馬さんは、お芝居をやっていた年の離れた従姉妹に誘われて児童劇団に入団し、小学校1年生から小学校3年生まで、子役として活動するも、持病の喘息(ぜんそく)が悪化したことでやめてしまったそうですが、
中学進学後、体を鍛えて健康を取り戻すと、高校2年で中退後は、お父さんに勧められて東宝芸能学校に入ったそうで、やがては、演技漬けの毎日を過ごすようになったといいます。
今回は、西岡徳馬さんの、生い立ち(幼少期から大学時代まで)をご紹介します。

西岡徳馬のプロフィール
西岡徳馬さんは、1946年10月5日生まれ、
神奈川県横浜市の出身、
身長175センチ、
血液型はA型、
学歴は、
横浜市立綱島小学校
横浜市立大綱中学校
⇒法政第ニ高校中退
⇒東宝芸能学校
⇒学校法人聖ミカエル学院
⇒玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒業
趣味は、
ゴルフ、ガーデニング、
だそうです。
西岡徳馬の本名は?芸名の由来は?
西岡徳馬さんの正式な漢字表記は「西岡德馬」だそうですが、
(「德」は「徳」の旧字体で横に一本線あり)
実は、西岡徳馬さんの本名は、「西岡德美」(にしおか のりよし)というそうで、当初は、芸名もこの名前のまま活動していたそうですが、
「德美」だと、女性に間違えられたり、”とくみ”と呼ばれることが多かったそうで、1979年、「文学座」退団を機に、芸名を「西岡徳馬」(一般的な「徳」)としたそうですが・・・
その後、僧侶から、
「徳」という字は「人は一心ことを為すのに十四年」という作りですから、一本、横棒を入れた方がいい
と、言われたそうで、
最終的には、もともと戸籍で「德(旧字体)」を使っていることもあり、芸名を、「西岡徳馬(一般的な「徳」)」から「西岡德馬(旧字体の「德」)」に変更したのだそうです。
西岡徳馬が幼い頃は両親によく映画館に連れて行かれていた
西岡徳馬さんは、印刷会社、洋服屋、雀荘を経営するお父さんのもと、2人兄弟の長男として誕生すると、幼い頃は、映画が好きな両親によく映画館に映画を観に連れて行ってもらったそうですが、
西岡徳馬さんは、その時のことについて、
映画を観るというより寝かしに連れて行かれたというほうが正しいかもしれない。映画館に入ってサイダーでも飲ませておけば、暗くなりゃあ子供はすぐに寝てしまうからと、私と弟が日替わりで連れて行かれた。
と、語っています。
西岡徳馬は小学1年生~小学3年生の時に東宝児童劇団に入団し子役として活動していた
そんな西岡徳馬さんは、小学校1年生の時、お芝居をやっていた14歳年上の従姉妹(いとこ)のタマちゃんに、
子役を探している
と、声をかけられ、
児童劇団に連れて行かれて、演じてみると、
うまい、うまい
と、褒められたそうで、
その気になって、そのまま東宝児童劇団に入団したそうです(笑)
そして、その後は、岡田茉莉子さんと池部良さんが主演の「旅路」、片岡千恵蔵さん主演の「三つ首塔」、力道山さんが主演していた日活映画など、いくつかの映画に出演したそうですが・・・
小学3年生の時、「嫁が来てから」という映画の撮影中、(スタジオが埃っぽく)持病の喘息(ぜんそく)が悪化し、西岡徳馬さんの出番の撮影が3日間も中断してしまったそうで、子供ながらに責任を感じ、それが原因で、お芝居をやめたのだそうです。
(西岡徳馬さんが幼い頃は喘息持ちで体が弱かったそうです)
西岡徳馬は中学時代は器械体操部で喘息を克服し高校では野球部入部も2年で中退していた
その後、西岡徳馬さんは、中学進学後は、体を鍛えるために器械体操部に入部して、見事、喘息を克服し、高校に進学すると、今度は野球部に入部したそうですが・・・
上級生の理不尽な暴力が嫌で野球部を半年で退部すると、その後は、力を持て余していたことから、ケンカに明け暮れる毎日だったそうで、毎日のように、職員室に連れて行かれて事情聴取されていたといいます。
(自分からケンカを売ることはなかったものの、売られたケンカは必ず買い、約20人を相手に1人でケンカしても勝つなど、ケンカにはほとんど負けたことがなかったそうですが、特に、弱いものイジメをしている人間が嫌いで、イジメの場面を目撃するとカッとなってケンカとなっていたそうです)
そんな中、西岡徳馬さんは、高校2年生の時、試験でカンニングを疑われ、全成績の点数をゼロ点にされて留年が決まったそうで、お父さんが学校に呼び出されたそうですが、
説明を受ける中、お父さんが、
こんな学校はやめる。帰るぞ!
と、言って席を立ったそうで、
西岡徳馬さんは、そのまま、高校を中退したのだそうです。
西岡徳馬は高校中退後は東宝芸能学校に入学していた
そして、お父さんに、
ここに行け
と言われて、東宝芸能学校に入学すると、
最初は、遊び感覚で、連日、銀座までナンパに繰り出し、ボウリングをしたりして遊んでいたそうですが、
入学して1年ほど経った頃、帝国劇場の元女優で、講師として来校した村田嘉久子さんに呼び止められて、
メガネ越しに鋭い眼光でじっと顔を見つめられ、
あんた、いい役者になるよ
と、言われたそうで、
(授業中だったという話も)
西岡徳馬さんはびっくりしたといいます。
西岡徳馬は高校に入り直し、大学にも進学して演技漬けの毎日を送っていた
ただ、このことがきっかけとなり、西岡徳馬さんは、「いい役者」ということについて考え始めたそうで、
結果、いい役者になるためには、「内面を磨かなくては」との考えに至ったそうで、高校(鎌倉の聖ミカエル学院)に入り直すと、その後、玉川大学に進学し、ここでも演劇を専攻して、演技漬けの毎日を過ごしたのだそうです。
「西岡徳馬の若い頃は「文学座」で看板役者!10年で退団した理由とは?」に続く
![]()
2024年には、中国平遥映画祭で短編映画「相談」で主演男優賞を受賞するほか、「エミー賞」史上最多の18冠を受賞したアメリカのドラマ「SHOGUN 将軍」でも戸田広松役で存在感を放った、西岡徳馬(正式表記は西岡德馬)(にし …






