2024年には、中国平遥映画祭で短編映画「相談」で主演男優賞を受賞するほか、「エミー賞」史上最多の18冠を受賞したアメリカのドラマ「SHOGUN 将軍」でも戸田広松役で存在感を放った、西岡徳馬(正式表記は西岡德馬)(にしおか とくま)さん。
そんな西岡徳馬さんは、若い頃は「文学座」で、長年、看板役者として活躍していたのですが、10年が経過した頃、「文学座」退団を決意していたといいます。
今回は、西岡徳馬さんの、「文学座」への入座経緯や退団理由などをご紹介します。

「西岡徳馬の生い立ちは?幼少期は子役!高校中退して東宝芸能学校⇒高校⇒大学!」からの続き
西岡徳馬は24歳の時に「文学座」に飛び級で研究生として入所すると3年目には劇団員に昇格していた
高校中退後、東宝芸能学校に入ると、帝国劇場の元女優で講師の村田嘉久子さんに「いい役者になる」と言われたのをきっかけに、高校に入り直し、大学にも進学して演技漬けの毎日を過ごしていたという西岡徳馬さんは、
芥川比呂志さんが大好きで憧れていたことから、芥川比呂志さんが主宰する劇団「雲」か、劇団四季に入りたいと思っていたそうですが、
そんなある時、たまたま客員講師として来ていた「文学座」の代表・戌井市郎さんに、
西岡君はどこへ行くんだ
と、尋ねられ、
「雲」
と、答えると、
君は、いちばん文学座的なんだけどな
と、言われたそうで、
西岡徳馬さんにとって、「文学座」と言えば、杉村春子さんが座長の女性の劇団というイメージがあったそうですが、調べてみると、テネシー・ウイリアムズやアーサー・ミラーなどのお芝居をしていることを知って凄いと思い、「文学座」の試験を受けると、見事、合格。
しかも、大学で4年間お芝居を学んだことを考慮され、養成所ではなく研究所への入所となったそうで、
西岡徳馬さんは、
飛び級で研修生になり、3年目には、早くも劇団員に昇格と、とてもラッキー続きだった。
と、語っています。
西岡徳馬は24歳の時に左膝を骨折し「文学座」での初舞台を逃していた
こうして、1970年、24歳の時に「文学座」に入った西岡徳馬さんは、稽古中にアキレス腱を切ってしまった先輩俳優の代役として、いきなり、初舞台を踏むことになったそうで、初日まで1週間ほどないながら、張り切って稽古をしていたそうですが、
いよいよ明日が初日という日の前日、稽古が深夜まで及び、解散となった後、終電に乗り遅れまいと、みんなで駅を目指して大急ぎで走っていると、
ガードレールとガードレールの間に張ってあったロープに足が引っかかり(暗くてロープが見えなかったそうです)、身体が一瞬宙に浮いて道路に叩きつけられ、左膝を強打してしまったそうで、
なんとか起き上がったものの、左膝がひどく痛み、仲間の手を借りてなんとか終電には間に合うも、とても横浜の家に帰ることはできず、友達の家に泊めてもらったそうで、
(その夜は、左膝が腫れて痛み、一睡もできなかったそうです)
翌朝早く、激痛のする脚を引きずるようにして病院に行くと、レントゲンを撮った結果、左膝のお皿が真っ二つに割れていることが判明したそうで、西岡徳馬さんは、この日の初舞台に出ることができなかったのだそうです。
(とはいえ、それ以来、現在まで病欠は1度もしていないそうです)
西岡徳馬は「文学座」時代は看板役者として活躍していた
それでも、その後、西岡徳馬さんは、順調に俳優としてキャリアを重ね、ずっと主役クラスを務めたそうで、「文学座」の看板役者として活躍したのでした。
(無名の舞台俳優の生活は厳しく、バーテン、陸送の運転手、ボウリング場のメンテナンスなど様々なアルバイトをしていたそうですが、実家暮らしだったこともあり、それほど苦にはならなかったそうです)
西岡徳馬が33歳の時に「文学座」を退団した理由とは?
ただ、「文学座」に入って10年が経った頃、みんなが家族のようになってきたことや、失敗しても良い役が与えられることに疑問を持ち始めたそうで、

文学座時代の西岡徳馬さん。
そんな中、つかこうへいさんや蜷川幸雄さんとの出会いがあり、彼らの舞台に呼んでもらって客演すると、「文学座」では味わったことのない刺激を感じたほか、
杉浦直樹さんと石立鉄男さんの「おかしな二人」や津川雅彦さんの「淫乱斎英泉」を観て、役者が輝いて見え、「文学座」にいる限りこのような芝居はできないと思ったそうで、
悩み抜いた末に、「文学座」を退団する決意をしたのだそうです。
ちなみに、「文学座」の座長・杉村春子さんが、
あの子はやめさせちゃだめ
と、言っている話も聞いたそうですが、
西岡徳馬さんは、その時のことについて、
もともと僕は怠け者で「グズラ」と呼ばれたほど(笑)。飯を食うのも何でも一番遅くてね。でも文学座という金看板をいったん外し、「一度失敗したら、二度と演出家に呼ばれない」という崖っぷちに立ったところで勝負していかないと、役者としてダメになるなと思ったんですよね。
ちょうど父親が亡くなった年で、今こそ背水の陣を敷く時だ、グズラとはいえ、さすがにここでグズグズしていたら、まずいだろうっていう気になったんだと思います。
と、語っています。
西岡徳馬は「文学座」退団後も変わらぬ毎日が続いていた
こうして、西岡徳馬さんは、1979年、33歳の時に「文学座」を退団すると、その後も、俳優として高く評価されたそうですが、
ある時、弟さんから、
兄貴よ、いつまで食えないことをやってるんだよ!俺が金を出してやるから、喫茶店でもやれよ
と、言われたそうで、
これに対し、西岡徳馬さんは、(弟さんの言う通りだと理解しつつも)怒り狂い、
ばかやろう、俺はいいものを作ってんだ、金のためにやってるんじゃねえ
と、豪語したそうですが・・・
実際、「文学座」時代とさほど変わらない毎日が続いていたのだそうです。
(今でも、弟さんに言われたこの言葉が忘れられないそうです)
「【画像】西岡徳馬の若い頃から現在までの出演映画ドラマ舞台は?」に続く
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1989年、つかこうへいさんの舞台「幕末純情伝」で新境地を開拓し、1991年には、テレビドラマ「東京ラブストーリー」でダンディーでセクシーな上司役として大ブレイクすると、 以降、ヤクザの幹部など強面の役柄を数多く演じるほ …





