1966年、テレビドラマ「若者たち」でブレイクされた、俳優の山本圭(やまもと けい)さん。かつては映画を中心に出演されていましたが、近年は、テレビドラマで重要な脇役を数多く演じられています。


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プロフィール!

山本さんは、1940年7月1日生まれ、
大阪府茨木市のご出身です。

身長167センチ、

血液型はO型、

出身大学は、
成蹊大学政治経済学部、

趣味は、
渓流釣り、囲碁、

だそうです♪

デビュー

山本さんは、
中学、高校と演劇部で活動され、

高校卒業後は、一旦、
大学へ進学するものの、中退。

大学中退後の1960年、
「俳優養成所」に入所されています。

そして、1962年、
「乳房を抱く娘たち」の準主役で、
映画デビューを果たされると、

翌年の1963年には、
正式に「俳優養成所」に入団され、
映画を中心に出演を重ねられたのでした。

「若者たち」でブレイク!

そして、1966年、
テレビドラマ「若者たち」で、
佐藤三郎役を演じられると、一躍人気者に。

「若者たち」より。田中邦衛さんと山本さん。

この作品は、
テレビドラマ終了後も、

1967年「若者たち」
1969年「若者は行く-続若者たち-」
1970年「若者の旗」

と、劇場版が3作品、
制作されているのですが、

「毎日映画コンクール助演男優賞」

を受賞するなど、山本さんはこの映画で、
人気、実力ともに認められたのでした。

デビュー作「乳房を抱く娘たち」

ところで、山本さんの俳優デビュー作は、
映画「乳房を抱く娘たち」なのですが、

この作品は、山本さんの叔父である、
山本薩夫さんが監督され、

山本さんは、準主役の、
「力」役に抜擢されています。

ただ、撮影の初日は、悔しくて、
今でも、山本さんにとって、
忘れられない1日となっているそうです。

というのも、監督からは、
なかなかOKがもらえず、

お前、養成所で何を勉強してきたんだ!もう一回!

と、怒鳴られ、
何度もやり直しをさせられたというのです。

撮影は朝の8時からスタートしたにも関わらず、
山本さんのせいで、撮影は進まず、

しかも、撮り直しの間はずっと、
監督から罵声を浴びせられ続けたのだとか。

結局、午後の3時になり、
太陽が陰って撮影ができなくなるまで、
それは続き、とうとう、その日は、
ワンカットも撮れず終了したそうで、

山本さんは、いてもたってもいられなくなり、
初めての撮影現場で、涙したそうです。

山本さんは、後に、

「プロの俳優の世界は甘いもんじゃないぞ」

ということを、叔父である監督が、
新人で準主役の甥に対し伝えたかったのだ、
と悟られたそうですが、

どちらかというと、
甥っ子を準主役に使っている監督の立場として、

身内をえこひいきしていると思われたくないあまりの、
行き過ぎた仕打ちにのようにも・・・

家族は?

それでは、ここで、
山本さんのご家族を紹介しましょう。

まず、山本さんのお父さんは、
建築家の山本勝巳(やまもと かつみ)さん。

富山城址公園内にある博物館や、
長野県にある、美ヶ原ホテルなどを、
設計されたのだとか。

そして、お兄さんは、
俳優の山本學(やまもと がく)さん、

山本學さん

弟さんは、
俳優の山本亘(やまもと せん)さん、

山本亘さん

で、お二人とも、
「俳優座」に所属されていたそうです。

お父さんが建築家でありながら、
息子さんが3人とも俳優というのは、
不思議な感じがしますが、

叔父さんの山本薩夫さんが、映画監督ということで、
その影響を受けられたのかもしれませんね。

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妻は?

そして、山本さんの奥さんですが、
囲碁棋士の小川誠子(おがわ ともこ)さんだそうです。

俳優と囲碁棋士という、
とても珍しいご夫婦なのですが、

山本さんの趣味が囲碁ということで、
お二人は、囲碁の対戦会で、
知り合われたのだとか。

小川誠子さん

ちなみに、お子さんは、
1984年か1985年頃生まれた、
娘さんがひとりおられるようですが、

他にいらっしゃるかどうかは、
分かりませんでした。

いずれにせよ、
お子さんの情報がないことから、
一般のお仕事をされているのでしょうね。

さて、いかがでしたでしょうか?

若い頃から俳優一筋だと思いきや、
銅版画家を目指した時期もあったという山本さん。

表現するということでいえば、
俳優も銅版画家も、
共通するところがあるのかもしれませんね。

すでに、70歳も半ばを回った山本さんですが、
お体には十分気をつけて、
これからも渋い演技を見せてほしいですね。

応援しています!!

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