1980年代、「DAYBREAK」「秋」「TIME ZONE」など、立て続けにヒットを連発し、一躍人気アイドルとなった、「男闘呼組(おとこぐみ)」。歌って踊るアイドルが多いジャニーズ事務所において、「男闘呼組」はロックバンドという異色の存在で人気を博しました。


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男闘呼組の前身「東京」「東京男組」誕生

ジャニーズ事務所内で仲の良かった、
成田昭次さんと高橋一也(後に和也に改名)さんが、

1984年夏頃、「でたらめロックバンド」という、
プライベートバンドを結成すると、

その後、同年12月には、岡本健一さんが加わり、
3人は「ジャニーズJr.」として、
アイドル雑誌「マイアイドル」の撮影に参加。

翌年の1985年には、ジャニー喜多川社長が、
成田さん、高橋さん、岡本さんの3名に、
「東京」というグループ名を名付けられたそうで、

同年、ほどなくして、遠藤直人さんと守屋二郎さんが加わり、
5人で活動を開始されています。

ちなみに、「東京」は、
「東京男組」と名乗る時もあったようで、

「東京男組」として活動する時のみ、
サポートメンバーだった、
前田耕陽さんが参加されたそうです。

男闘呼組へ

そして、同年3月、前田さんを含む、
6名のメンバーは、「男闘呼組」に改名。


(左から)前田耕陽さん、守屋二郎さん、岡本健一さん、
遠藤直人さん、成田昭次さん、高橋一也さん。

ただ、間もなく、守屋さんが脱退。
続いて、遠藤さんも脱退され、

最終的に、「男闘呼組」は、
成田さん、高橋さん、岡本さん、前田さん、
の4人となったのでした。

(遠藤さんはその後、
「少年忍者」のメンバーになられています)

そして、1988年8月、「男闘呼組」は、
ファーストシングル「DAYBREAK」でデビューすると、
いきなり、オリコンチャート1位に。

「DAYBREAK」

その後も、同年12月のセカンドシングル「秋」
翌年1989年のサードシングル「TIME ZONE」が、
立て続けに大ヒットを記録し、

「男闘呼組」は、
一躍人気アイドルとなられたのでした。

突然の解散

また、1991年に発表された、
4枚目のシングル「ANGEL」からは、

自分たちで作詞作曲をするなど、本格的に、
アーティストとしての活動をスタートするのですが

1993年、「男闘呼組」が主演の舞台、
「スラブ・ボーイズ」が終了すると同時に、
突然、高橋さんが解雇されてしまいます。

これにより、「男闘呼組」の活動は休止を余儀なくされ、
全公演チケットが完売していた、
その年の夏のコンサートツアーも中止に。

さらに、翌年の1994年には、
ファンクラブも解散したのでした。

高橋一也解雇の理由

そもそも、なぜ、突然、
高橋さんは解雇されたのでしょうか。

噂では、薬物使用疑惑、素行不良、協調性のなさに、
メリー喜多川副社長が激怒したから、と言われていますが、

もちろん高橋さんは、薬物疑惑を否定。

高橋さんは、解雇された経緯について、

アメリカから帰国した際、
突然マネージャーに呼び出され、
契約更新を行わないことを通告された。

とおっしゃっています。

薬物使用さえなければ、
素行不良や協調性がない人など、
ジャニーズにはたくさんいるので、

やはり、単純に、高橋さんは、
メリーさんに嫌われていたのかもしれませんね。

ちなみに、他のメンバーは、
新聞報道で解散を知ったそうで、
なんともお気の毒な話です。

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現在は?

そんな4人の現在はというと・・・

「男闘呼組」解散後、
岡本さん、高橋さん、前田さんは、
主に俳優として活動されています。

特に、岡本さんと高橋さんは、
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」で、
共演され、話題となりましたね。


毛利勝永役の岡本さんと、宇喜多秀家役の高橋さん。

一方、成田さんだけは、ひとり、
ミュージシャンの道を歩まれ、
インディーズで活動されていましたが、

2009年、大麻所持で逮捕され、
現在も音信不通の状態。

成田さんは現在、
どこで何をされているのでしょう・・・

インディーズだったため、
復帰は難しいと言われていますが、
更生し、ぜひ、戻ってきてほしいですね。

さて、いかがでしたでしょうか?

いつか再結成の日が来ることを期待しつつ、
今は、個々のメンバーの活動を、
見守ることとしましょう。

応援しています!!

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