1961年、12歳の時、3枚目のシングル「パイナップル・プリンセス」が大ヒットし、一躍、人気を博すと、その後は、三原綱木さんとの夫婦デュオ「つなき&みどり」として活動し、1972年には、「愛の挽歌」がヒットした、田代みどり(たしろ みどり)さん。
そんな田代みどりさんは、現在はどうしているのでしょうか。
今回は、田代みどりさんの若い頃から現在までの経歴をご紹介します。

田代みどりの年齢は?出身は?本名は?
田代みどりさんは、1948年4月22日生まれ、
大阪府大阪市のご出身(鳥取県生まれ)、
学歴は、
精華学園女子中学校卒業、
ちなみに、本名は「田代清子」です。
田代みどりの若い頃は「パイナップル・プリンセス」が大ヒット
田代みどりさんは、7歳頃から大阪のジャズ喫茶で歌を歌っていたそうで、平尾昌晃さんにスカウトされて、1958年、10歳の時に上京すると、
その後、1960年8月、12歳で、ファーストシングル「スイート・ナッシンズ」でデビュー。

「スイート・ナッシンズ」
翌年の1961年1月には、ディズニーソングをカバーした3枚目のシングル「パイナップル・プリンセス」が大ヒットを記録しました。

「パイナップル・プリンセス」
田代みどりは三原綱木と結婚し、夫婦デュオで活動
その後、田代みどりさんは、1970年にグループ・サウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の三原綱木さんと結婚すると、
1972年には、それぞれが所属していたプロダクションを辞めて、二人で「バーニングプロダクション」に入り、夫婦デュオ「つなき&みどり」を結成。
そして、ファーストシングル「愛の挽歌」をリリースすると、オリコンチャート最高15位、15万枚のヒットを記録しています。

「愛の挽歌」
ただ、1973年にリリースした、2枚目のシングル「愛の絆」、3枚目のシングル「ふたり」は、デビュー曲ほどのヒットとはならず、1974年には解散が噂されるように・・・
田代みどりは三原綱木と離婚し「つなき&みどり」は活動停止
それでも、1977年1月には、7枚目のシングル「Jの5番」をリリースしているのですが・・・
その3ヶ月後の同年4月には、別居していることが報道されると、同年6月には、離婚し、「つなき&みどり」は活動停止となったのでした。

「Jの5番」
田代みどりは31歳頃に高橋尚美と再婚し芸能界を引退
その後、田代みどりさんは、1979年頃(31歳頃)には、「MEN’S CLUB」誌の専属モデル・高橋尚美(たかはし ひさみ)さんと再婚すると、芸能界を引退し、
以降、専業主婦となり、メディアで姿を見ることはほとんどなくなってしまったのでした。

再婚当初の田代みどりさんと高橋尚美さん。(高橋尚美さんのブログより)

40歳頃の田代みどりさんと高橋尚美さん。(高橋尚美さんのブログより)

(左から)高橋尚美さん、愛犬の優麻くん、田代みどりさん。
田代みどりの子供は?
ちなみに、田代みどりさんの子供ですが、
高橋尚美さんが、前掲の40歳頃の写真と共に、
我が子が小学生頃の運動会での一コマ
と、ブログに綴っていたので、
少なくとも、1人はお子さんがいるようです。
田代みどりの現在は?
そして、そんな田代みどりさんも、2011年頃(63歳頃)からは、懐メロの歌番組に時々出演し、「つなき&みどり」も再結成し、「NHK歌謡コンサート」などに出演すると、

「NHK歌謡コンサート」(2011)より。田代みどりさんと三原綱木さん
喜寿(77歳)を節目に、本格的に歌手活動を再開し、2024年11月28日には、久々にライブを開催。

2024.11.28に行われたライブより。中央が田代みどりさん。(高橋尚美さんのブログより)
2026年4月22日にも、都内で78歳のバースデーコンサートを開催しています。

78歳のバースデーコンサートより。(2026.4.22)
さて、いかがでしたでしょうか?
2009年には、娘さん(前出のお子さんかどうかは不明)が「性同一性障害」であることから、治療で息子さんになったことを、カミングアウトした田代みどりさん。
理解あるお母さんとして、娘さんを支えることが一番ですが、これからも、末永くその歌声を聴かせてほしいものです。
パイナップル・プリンセス / 田代みどり
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