前田亘輝の下積時代は?ベストセラーサマーがヒットするも・・・


高校中退後、アマチュアバンド「パイプライン」として活動されると、1985年、「The TUBE」として「ベストセラーサマー」でプロデビューし、30万枚を売り上げるヒットを記録した、前田亘輝(まえだ のぶてる)さん。ただ、2枚目のシングルは振るわず仕事が激減。練習の日々を送られたのでした。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

前田さんは、1965年4月23日生まれ、
神奈川県厚木市のご出身です。

身長167センチ、

血液型はA型、

学歴は、
神奈川県立座間高等学校中退、

趣味は、ゴルフ、

ちなみに、「前田亘輝」は本名です。

音楽事務所「ビーイング」でアルバイト

前田さんは、子どもの頃から、遠足のバスの中ではマイクを離さないほど歌を歌うことが好きで、その後、レオン・ラッセルやイーグルスを聴いて音楽に目覚めると、自らもバンドを組んで活動するように。

さらに、音楽好きが高じて、高校時代には、音楽事務所「ビーイング」でアルバイトを始められたそうで、

前田さんは、その当時を振り返り、

自分もバンドをやっていたので、プロの仕事を見ると、「なるほど」と思うことが多かった。有名人に会えるのもうれしくて。アーティストが夜中に戻って来て、秘蔵のCDを聞かせてくれたりして。

いつも朝まで事務所にいて、そこが俺にとっては学校のようなものでした。

と、おっしゃっていました。

バンド「パイプライン」を結成

そして、高校3年生になると、音楽業界で生きると決意し、高校を中退。

その後、高校時代にライブを通して知り合った、角野秀行(かくの ひでゆき)さん、角野さんの高校の後輩だった、
松本玲二(まつもと りょうじ)さん、音楽祭を通じて知り合った、春畑道哉(はるはた みちや)さんの4人で、バンド「パイプライン」を結成すると、プロを目指し、次々にオーディションを受けられたのですが・・・結果は全滅。

前田さんは、当時のことを、

「もういい」と審査員に途中で歌を止められたり、「君たちカッコ悪いねぇ。その服どこで買ったの」
と音楽と関係ないことを言われたり。

そのたびにメンバーの前では、「10年早く生まれちゃった」と強がったけど、一人になると「やっぱりプロは無理か」と弱気になっていました。

と、明かされています。

「The TUBE」として「ベストセラーサマー」でデビューするも・・・

それでも、めげずにライブ活動を続けていると、現在も所属されているレコード会社「ソニー・ミュージックエンタテインメント」(当時はCBSソニー)から声がかかります。

(ただ、当初は、まだデビューできるほどの実力がなかったのか、事務所からはライブ活動を禁止され、練習と下積みの日々だったとか)

そして、1985年、映画のタイアップで、全国ツアーをするバンドのスタッフとして、前田さんたちは同行していたのですが、突然、その映画が中止となってしまい、ツアーをやめるわけにはいかないことから、前座のバンドとして出演するというチャンスが。

こうして、前田さんたちは急遽デビューが決まり、同年6月、バンド名「The TUBE」として、ファーストシングル「ベストセラー・サマー」でプロデビューを果たすと、

「ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」「夜のヒットスタジオDELUXE」など、当時の主要な歌番組に次々と出演し、30万枚のヒットを記録したのでした。


ベストセラー・サマー

ちなみに、前田さんは、デビュー当時について、

渡されたアイドルみたいな衣装を見た時は死のうかと思った(笑)。しかも、原宿の床屋で妙な髪形にされて。曲も自分たちにはしっくりこなかった。

当時の俺たちは、海なんかよりも、ずっと都会に憧れを抱いて暮していたんです。

と、明かされており、必ずしも満足のいくデビューではなかったようです。

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「TシャツとGパン」というスタイルに

そんな思いが影響したのか、同年10月にリリースした2枚目のシングル「センチメンタルに首ったけ」は全く売れず、


センチメンタルに首ったけ

仕事が激減した「The TUBE」は、再び、練習の日々を送ることに。

そして、ある日、

衣装代がかかった

と、事務所から文句を言われたそうで、

頭にきた前田さんは、

俺たちはこれからTシャツとGパンだけでいい

と、宣言されたそうですが、

その時、初めて、前田さんは、

用意してもらったお仕着せのものではなく、自分たちで納得のいくようにやらないとだめなのだ

と、気づかれたのでした。

「前田亘輝が馬主!飯島直子との離婚原因は?現在の彼女は?」に続く

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