ミリオンセラーを連発するほか、プライベートでも順調だった華原朋美(かはら ともみ)さんでしたが、1998年に小室哲哉さんと破局すると、その後は、精神不安定から薬物に依存し、休養と復帰を繰り返すように。そして、2007年6月、ついに、所属事務所を解雇されてしまったのでした。


「華原朋美と小室哲哉の馴れ初めは?I BELIEVEとI’m proudがミリオンセラーに!」からの続き

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小室哲哉と破局

公私共に順調だった華原さんですが、
1998年12月、突然、小室哲哉さんと破局されると、
転がり落ちるように全てが崩れていきます。

華原さんは、ある日、いつも通り、レコーディングで、
ロサンゼルスにある小室さんのスタジオを訪れるのですが、

(小室さんは複数のプロジェクトを同時進行していたため、
 スタジオには多くの人が出入りされていました。)

理由を伝えられないまま、
華原さんだけが移動しなければならなくなり、

誰も何も教えてくれないまま、
気がつけばひとりきりになっていたそうで、

味気ない食事をして、ずっと小室さんを待つも、
結局小室さんが来てくれることはなく、
そのまま別れとなってしまったそうです。

そして、華原さんは、小室さんと同棲していた部屋に、
自分の荷物を取りにお母さんと戻るのですが、

服や写真などの荷物はすっかり片付けられていたそうで、
(小室さんが全部捨ててしまったようです)

一度は小室さんへの想いを断ち切った華原さんですが、
それを見ると、想いがあふれ、その場で大声を出して泣いてしまい、
あまりに激しく泣きすぎたためか、その場で気を失い、
気がついた時には、病院のベッドの上だったのだそうです。

ちなみに、後に、華原さんは、

別れ話とかはしていない。急に空気が変わって、
マネージャーもいなくなって、勝手に終わりました。

と、明かされています。

破局理由は?

気になる破局理由ですが、

噂では、いつでもどこでも同行したがる華原さんのわがままや嫉妬に、
小室さんが耐えられなくなったからだと言われています。

というのも、華原さんは、完全に小室さんに依存していて、
小室さんにかまってほしくて仕方なかったのですが、

当時売れっ子プロデューサーだった小室さんは、
仕事で忙しく、なかなか華原さんだけにかまっておれず、

華原さんは、そんな小室さんに対し、
一方的につっかかったり、ケンカをしかけたりしていたそうで、

挙句には、寂しさからか、
俳優の小橋賢児さんと浮気をしてしまい、

小室さんと二人で住んでいたマンションに、
小橋さんを招き入れたこともあったのでした。

精神不安定で薬物依存~無期限休養へ

そんな華原さんは、小室さんとの破局後は、
さらに精神不安定になって、精神安定剤を服用するようになり、
眠れないことから、睡眠薬の服用も始めるようになったそうで、

その影響もあったのか、1999年1月30日には、
自宅で料理中に倒れて緊急入院。
(ガス中毒で、一時は意識不明の重体だったそうです)

この出来事に関しては、華原さんは、

フライパンを温めるため、火を付けようとしたら、
ガスのにおいで具合が悪くなった。

と、自殺未遂説を否定され、

同年5月には、芸能事務所を「プロダクション尾木」に移籍して、
新聞社向け限定の復帰会見を行われるのですが、

そのわずか1週間後の6月16日には、
今度は、自宅マンションのロビーで、
意識がもうろうとしている状態で発見され、
救急車で病院に緊急搬送されてしまいます。(原因は貧血とのこと)

ただ、翌日の6月17日には、
2度目の復帰会見を行われ、

翌月の7月には、14枚目のシングル「as A person
をリリースして復帰をアピール。

また、音楽番組にも8ヶ月ぶりに出演するほか、
初のファンイベントも開催するなど、
積極的に活動を展開されるのですが、

翌年の2000年1月、ついに、

「100%の自分を取り戻す」

ことを理由に、無期限休養に入られたのでした。

カナダでのカウンセリング後、積極的な活動も・・・

そして、休養中はカナダで、
薬物依存症克服のためのカウンセリングを受けられたようで、

その効果があったのか、同年7月頃には、一時帰国し、
バラエティ番組「進ぬ!電波少年」に出演すると、

翌年の2001年2月には、完全に帰国し、
4月には、18枚目のシングル「Never Say Never」
をリリースし、音楽活動を再開。

8月には、早くも19枚目のシングル「PRECIOUS」
をリリースし、デビュー7年目にして初の単独ツアー、
「TOMOMI KAHALA FIRST LIVE 2001~待っててくれてアリガトウ~」

11月には、5枚目のアルバム「Love Again」
をリリースされるなど、順調に音楽活動を続けられます。

また、この頃には、
本格的にバラエティ番組にも出演されるようになるほか、

ミュージカル「赤毛のアン」や、松任谷由実さんの曲だけで構成された、
ミュージカル「ガールフレンズ」で主演を務められるなど、
新たな境地を開かれるのですが・・・

2006年末から「気管支炎」を患うなど体調不良が続き、
ミュージカル「ガールフレンズ」を公演期間中に降板すると、

2007年年明けから4月いっぱいまで、
3度目の休養に入られたのでした。

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所属事務所を解雇

それでも、2007年6月からは、
本格的に仕事復帰されるのですが・・・

バラエティ番組「新堂本兄弟」のリハーサルや、
ラジオ番組の無断キャンセルなどが続き、

とうとう、6月28日付けで、
専属事務所だった「プロダクション尾木」から、

昨年末には「急性気管支炎」と「急性声帯炎」を患い、
舞台を休演し、関係各位に多大なご迷惑をかけた為、
今年1月より4月いっぱいまで休業させて頂き、
心身の休養に努めさせました。

そしてこの5月に全快したと判断し仕事に復帰させました。

再起に向け、当社としても最善の努力をはらい、
彼女にとって『仕事こそが最高の良薬』と信じて、
今日まで本人を支えて参りましたが、

再び、突然の仕事のキャンセル等が続き、
予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、
これ以上、華原朋美の芸能活動を支えることが不可能と判断し、
専属契約を解除しました。

と、解雇されてしまったのでした。

その後、華原さんは、芸能界復帰を模索していたのですが、
2009年、「急性薬物中毒」で倒れ、
またしても、病院に緊急搬送されてしまいます。

「華原朋美が芸能界復帰!薬物依存で精神病院の閉鎖病棟に入院していた!」に続く

https://www.youtube.com/watch?v=N85LDZE-uuw

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