中学生の時に雑誌「mc Sister」のモデルとして活動を開始して以来、キャンペーンガールやモデルを経て、女優として活躍された、君島十和子(きみじま とわこ)さんですが、29歳の時、ファッションブランド「KIMIJIMA」の御曹司・君島明さんと結婚されると、芸能界を引退してしまいます。

「君島十和子の若い頃は?デビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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ファッションブランド「KIMIJIMA」の御曹司・君島明と結婚

君島さんは、1995年、皇族やパリ社交界にも愛用者がいるという、ファッションブランド「KIMIJIMA」のデザイナー・君島一郎さんの、息子・君島誉幸さん(当時、君島明。佐藤明⇒君島明⇒君島誉幸と改名されています)と結婚されています。

そんなお二人は、1994年11月、ファッションブランド「KIMIJIMA」で、当時、副社長をしていた誉幸さんが、お父さんの一郎さんと親交のあった週刊誌「女性自身」の記者に、

ブライダルコレクションのゲストモデルを探しているんです。誰かいい人いませんか。

と、相談し、推薦されたのが十和子さん(当時は「吉川十和子」名義で活動)だったそうで、お二人は、翌年の1995年2月、初めて出会われたそうですが、

誉幸さんいわく、

一度、ショーを見学してもらいました。会場の入口で父と一緒に出迎えたんですが、この人、父には深々とおじぎしたのに、隣にいた私の前はスッと素通り。正直、第一印象は芳しくなかったですね(笑)

と、初対面の十和子さんの印象はあまり良くなかったそうで、

一方、十和子さんはというと、

「KIMIJIMA」からお仕事をいただいていて、正面にご本人がいらっしゃれば、当然あいさつをさせていただきますよね?横に立っているのが息子さんだなんて誰も教えてくださらなかったし……

と、苦し過ぎる言い訳をされているのですが、

それでもお二人は、打ち合わせ、採寸、仮縫いなどの仕事で何度か顔を合わせているうちに、少しずつ打ち解けたそうで、十和子さんの29回目の誕生日だった1995年5月30日に初デートされると、翌月の6月には誉幸さんが十和子さんにプロポーズ。

すると、十和子さんは喜んでOKされたそうで、お二人は、1995年12月6日、幸せいっぱいの婚約会見を開かれたのでした。

婚約会見2日後に君島家のスキャンダルが次々と報道される

しかし、婚約会見から2日後には、売れっ子女優と有名ブランドの御曹司の婚約という祝福ムードは一転します。

なんと、誉幸さんが以前交際していた女性との間に婚外子がいるほか、誉幸さん自身が、お父さん(君島一郎さん)と愛人の間にできた子供ということが暴露されたのです。


当時のワイドショー。

そのため、十和子さんは、マスコミから連日追いかけられるようになったうえ、

実のお母さんが、

あんな人に、大切なお嬢さんを嫁がせてはダメよ

と、近所の人から忠告を受けるほか、

有名占い師からも、

あっという間に離婚しますよ

と断言されるなど、周囲の大反対に遭ったのでした。

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誰にも祝福されずに結婚

それでも、十和子さんは、婚約通り、誉幸さんと結婚されているのですが、実は、

それは、婚約を決める前に、彼が過去のことをきちんと正直に話してくれていたからです。私はすべてを聞いたうえで、それでも彼といっしょになりたいと決心し、婚約しましたから。

と、すでに誉幸さんから過去のことを聞いて知っており、そのうえで、婚約・結婚されていたのでした。

ただ、この状況下では、誰も賛成してくれなかったそうで、1995年12月11日、十和子さんは、誰にも祝福されず、誉幸さんと入籍し、1996年1月を持って、芸能界も引退されたのでした。

(誉幸さんは、君島一郎さんと愛人の間に生まれた子供で、元の名前は佐藤明さんだったそうですが、誉幸さんが20歳の時、この事実を知らされると、誉幸さんの実母と一郎さんのお母さん(誉幸さんのおばあさん)が養子縁組をし、君島姓になったのだそうです)

「君島十和子は昔KIMIJIMAお家騒動で借金40億円を抱えていた!」に続く

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