ひょんなことから、歌手を目指すも、当初は鳴かず飛ばずだった、中条きよし(なかじょう きよし)さん。しかし、またまた、ひょんなことから、人生が一転します。

「中条きよしは昔船乗り?20代前半から銀座で豪遊していた?」からの続き

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歌手デビューするも鳴かず飛ばず

歌手を目指して上京すると、ミニバー経営は成功した中条さんですが、歌手としてはさっぱりで、

1968年、「高波 晃(たかなみ あきら)」の芸名で、「帰って来た波止場」で、念願のデビューを果たすも、さっぱり売れず、


「帰って来た波止場」

その後、1971年には、「渥美 健(あつみ けん)」に改名し、「心の古傷」で再デビューされるのですが、やはり、さっぱり売れませんでした。


「心の古傷」

オーディション番組「全日本歌謡選手権」でグランプリ

しかし、そんなある日、中条さんは、自身が経営するバーのお客だった「梅ちゃんプロデューサー」という人から、新人歌手を発掘するオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場することを勧められたそうで、中条さんは気乗りしなかったそうですが、

勝手に応募ハガキを出されたことがきっかけで、1973年、「全日本歌謡選手権」出場されると、

審査員で作詞家の山口洋子さんをして、

ジゴロのにおいがする

と言わしめるほど、スター性を放ったそうで、

甘い声としっかりとした歌唱力で、あれよあれよと、10週連続を勝ち抜き、見事、グランドチャンピオンに。

中条きよしとしてのデビュー曲「うそ」が150万枚を売り上げる大ヒット

その後、中条さんは、山口洋子さんや平尾昌晃さんらにより、「中条きよし」と芸名を変えられ、1974年1月、山口洋子さん作詞、平尾さん作曲の、シングル「うそ」で再々デビューされると、なんと、いきなり、150万枚を売り上げる大ヒット記録し、

この年、「第16回日本レコード大賞」「大衆賞」などの音楽賞を受賞されるほか、「第25回NHK紅白歌合戦」にも出場。


「うそ」より。

さらに、続く、

同年7月「うすなさけ」
  10月「理由(わけ)」

も、ヒットを記録し、中条さんは、一躍、スターダムに駆け上ったのでした。


「うすなさけ」より。


「理由(わけ)」より。

ちなみに、中条さんは、オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場した際には、すでに27歳で、

ちょっとテレくさかった。周りは自分の弟や妹のような人ばかり。こんなおじさんはいなかった。

そうで、

まさかの大ヒットについても、

でも、売れるとは思わなかったなあ。発売後1カ月半ほどでオリコンの1位になった時も、「たまたまでしょ」って冷静だったからね。

と、明かされていました。

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俳優への熱い思い

以降、中条さんは、ついに、念願の俳優として、テレビドラマや舞台に出演されるようになるのですが、

最初は歌手でも全然売れなかったのですが、全日本歌謡選手権に出て、「うそ」が売れて。でも、いろんな人を見ていると歌はそんなに人気が長続きするとは思えませんでした。

せいぜい二、三年だろう、と。できれば役者をやりたいという思いが根っこにありました。それでテレビドラマに出て舞台もやるようになるのですが、今度は歌い手であることが邪魔になるんです。

「歌手芝居」とよく言うのですが、歌手の舞台は歌謡ショーとの二本立てですよね。そうなると、どうしてもショーに重きが置かれる。下手な芝居だけど、お客さんは次のショーを観たいから我慢する。

僕はそれが凄く嫌で、芝居に重きを置きたかった。でも劇場は「芝居は短くして」と言う。それでも、僕はどうしてもいい芝居をしたかった。お客さんが泣いたり笑ったりしてくれるような。ですから、他の歌い手さんと違う芝居を一生懸命にしてきた自負はあります。

と、歌手でブレイクした後も、ずっと、俳優としての思いは熱く持っておられたそうです。

「中条きよしが必殺仕事人の三味線屋勇次でセリフが少なかった理由とは?」に続く

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