1980年には、「勝プロダクション」が倒産し、14億円もの借金を抱えてしまった、中村玉緒(なかむら たまお)さんですが、二人の人物との出会いがきっかけで借金14億円を完済されたといいます。
「中村玉緒の家族の逮捕歴が凄い!アヘン所持に大麻密売に真剣刺殺!」からの続き
バラエティ番組「さんまのまんま」のオファーを受ける
14億円もの借金を返済しないといけない中、家族の不祥事が続いたことから、テレビには出演せず、舞台やクラブの歌謡ショーなどに精を出されていた中村さんですが、
1994年、バラエティ番組「さんまのまんま」のゲスト出演のオファーが舞い込みます。
実は、1993年に、中村さんがトーク番組に出演しているのを、明石家さんまさんが見て、出演のオファーをされたというのです。
ただ、その時、中村さんは、疲労がたたったのか、「おたふく風邪」にかかって顔が腫れてしまっており、
こんな顔では出演できない
と、断わられるのですが、
さんまさんは、勘が働いたのか、
1カ月後でも2カ月後でもいいから出てください
と、言ってくれたのだそうです。
「さんまのまんま」では台本を作ってもらっていた
こうして、一度は流れたものの、「さんまのまんま」に出演することになった中村さんは、これまで女優一筋だったことから、初のバラエティ番組にとても緊張し、
また、ほとんど台本がないことに驚き、
バラエティーは台本を覚えるかわりに前の日に何をしたらいいのかな?
と、いろいろと悩まれたそうで、
最終的には、事前に台本を作ってもらい、番組に出演されたのでした。
「さんまのまんま」でのさんまとのやりとりでブレイク
そして、番組の収録が始まると、中村さんは、おしとやかなキャラを演じようと思われていたそうですが、
やがて、さんまさんから、
お母さん、台本なんていりまへん! そうでっしゃろ?
と、アドリブを入れられて、全然台本通りにいかなくなってしまい、
中村さんは、
あきまへん
と、音を上げられます。
それでも、さんまさんは、
だから、いらないって言うてまんがな!
と、返してきて、まるで口喧嘩のようになってしまいます。
さんまさんと中村さん。
また、当時、中村さんは、夫・勝新太郎さんの事業の失敗でできた借金返済のため、経済的にも大変な時期だったことから、指輪はほとんど全部、債権者の方のもとに出しており、この収録の時には、唯一、お母さんからもらい、実家から持ってきた指輪をはめて番組に出演されていたそうですが、
別の指をケガして絆創膏をしていたため、テレビに絆創膏が映ったらまずいと、番組の収録中、ちょくちょく隠していると、
それを見たさんまさんから、
さっきから気になっていたんですけど、指輪2つやと思ったら1つや!
と、ツッコまれたそうで、
それで、中村さんが、慌てながらもつい笑ってしまうと、その笑い声が視聴者に大ウケ。
当時、役柄から定着しつつあった健気な母親のイメージだけではない、「天然キャラ」という新たな一面をさんまさんに見い出された中村さんは、その後、バラエティー番組のオファーが急増したのでした。
ちなみに、さんまさんとは、その後も、「明石家多国籍軍」「さんまのSUPERからくりTV」などで共演し、以降、20年以上に渡って交流があるそうですが、
中村さんは、
あの方は、私のことを“お母さん”と呼んでくださるんですが、それもとてもうれしくて。私にとって、さんまさんとの出会いは一生涯忘れられない思い出です。
と、さんまさんには頭の上がらないご様子でした。
着物ブランド「中村玉緒のきもの」が大成功
また、中村さんは、1990年には、いつものように赤坂のナイトクラブで歌っている時、芸能人御用達の着物作家・千地泰弘(ちぢ やすひろ)さんから着物作りを持ちかけられたそうで、自身の着物ブランド「中村玉緒のきもの」を立ち上げられているのですが、
中村さんは、ある時、夢で見た、真っ赤なバラにインスピレーションを得たそうで、
すぐ、千地さんに、
バラの着物を作りましょう
と、電話され(千地さんいわく、中村さんは興奮気味にまくしたてられたとか)、制作されると、
当時は珍しかったバラ柄を取り入れた斬新なデザインが見事に当たり、以降、現在まで30年続く人気ブランドへと成長しているそうです。
中村さんと千地泰弘さん。
14億円もの借金を完済
こうして、中村さんは、バラエティ番組出演と、着物のプロデュースという2つの大きな収入源のおかげで、14億円あった借金を、毎月500万円ずつ、25年かけて、見事、完済されたのですが、
相変わらず、低姿勢で、
私はお金に恵まれていないけど、80歳(2020年)になりましたが、人間には恵まれているということでは幸せだと思っています。
と、感謝の言葉を述べられており、中村さんの活躍はまだまだ続きそうです♪