その独特の風貌を活かし、ミステリアスな役、悪女役、純真な役など、悲喜劇問わず幅広い役を演じ、個性派女優として活躍された、岸田今日子(きしだ きょうこ)さんですが、女優活動以外にも、「ムーミン」の声優や、エッセイ・童話の翻訳などの執筆活動もされていました。
「岸田今日子の若い頃は砂の女で実力派女優の地位を確立!」からの続き
アニメ「ムーミン」の声優をしていた
岸田さんは、女優活動のほか、1969年度版と1972年度版のアニメ「ムーミン」では、主人公・ムーミントロールの声を担当されています。
ただ、当時の「ムーミン」は、(ムーミン谷に、お金が流通し、自動車などの物質文明が存在するなど)かなり日本向けにアレンジされていたことから、原作者のトーベ・ヤンソンさんは、日本でのテレビ放送に難色を示していたそうで(それでも、1985年頃までは再放送が繰り返されていました)、
1990年に、原作に忠実な「楽しいムーミン一家」が製作・放送されると、その後、岸田さんが声優として担当した「ムーミン」は、地上波はおろかCS放送ですら再放送されない状態となってしまったそうです。
「ムーミン」の世界観に共感していた
ちなみに、岸田さんも、トーベ・ヤンソンさんの原作を愛読されていたそうで、
岸田さんは、
限りなく自由で、大人は働かない、子どもは勉強しない。人間やカバに似ている生き物も、ニョロニョロみたいな魔物も、妖精も何もかもみんなが同じ価値で生きている。
そんなフィンランドの森の奥深くにあるムーミン谷は、ヤンソンさんの理想の社会を描いたもの。あの原作に、私はたいへん感銘を受けましたね。
と、語っておられます。
「ムーミン」の声優を引き受けたのは娘のためだった
ところで、岸田さんが、アニメ「ムーミン」の声優の仕事をするきっかけとなったのは、当時、まだ幼稚園に通っていた娘さんの存在だったそうです。
というのも、娘さんは、岸田さんが仕事に行く時、いつも、「どこ行くの?」と聞いてきたそうで、岸田さんは、「仕事」と答えるのですが、今度は、「どんな仕事?」と聞かれたそうで、
女優って外に出て行かなければできない仕事だけど、それをどう子どもに説明していいか分からなかったのね。そこで母親が一体どんな仕事をしているか見せようと思い、(ムーミンの声の仕事を)引き受けたんです。
と、娘さんに分かるような仕事がしたくて、「ムーミン」の声優を引き受けられたというのです。
実際、岸田さんが「ムーミン」の声優をされている間は、幼稚園帰りの娘さんをよくスタジオに連れて行って、自身がやっている仕事を見せたそうで、幼い娘さんもお母さんがやっている仕事を理解してくれたそうです♪
童話作家としても
また、岸田さんは、エッセイや翻訳など執筆活動でも才能を発揮されており、1998年には「妄想の森」で「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞。
童話作家としても、1975年には「子供にしてあげたお話 してあげなかったお話」、2000年には「大人にしてあげた小さなお話」を出版されています。
絵本も
また、絵本も、
パンツの はきかた(岸田さん著、佐野洋子さんイラスト)
ちょっとまって(岸田さん著、佐野洋子さんイラスト)
しろい ことり(岸田さん著、司修さんイラスト)
メリッサのおたんじょうび!!(マリア・クラレットさん著&イラスト、岸田さん翻訳)
クリスマスは12日つづく―恋人たちのマザーグース(ドロテードゥンツェ著、岸田さん翻訳)
ほんもののプレゼント(オー・ヘンリーさん著、東逸子さんイラスト、岸田さん翻訳)
ほか、数多く出版されています。
「演劇集団 円」で大人も子供も楽しめる芝居を企画
そして、1981年から、毎年クリスマスには、幼児にも楽しめる、「演劇集団 円」の舞台「円・こどもステージ」を企画されているのですが、
実は、娘さんがまだ幼かった頃、子ども向けのお芝居に連れて行ったところ、舞台のお兄さんの「こんにちは!」に答えなければいけないことなど、一緒に見ているのが辛かったことから、
大人も子どもも、それぞれの楽しみ方ができる舞台を作ろうと、幼馴染で詩人の谷川俊太郎さんや演出家の小森美巳さんを誘ったのが始まりだったそうで、
岸田さんは、
同じ部屋のなかで、同じ空気を吸いながら、汗も涙も見えるところで生身の人間が演ずる舞台を子どもたちに見てもらいたい。テレビと違って、食べながら観ないといった礼儀も自然と分かってくるはずです。
と、お説教ではなく、大人が楽しむ姿を通して、子どもたちに何かを感じてもらえたらと、おっしゃっていました。
「岸田今日子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く