舞台美術見習いとして「文学座」に入所するも、研修生全員が参加したオーディションで、見事、看板女優・杉村春子さんの娘役に抜擢されると、そうそうたる俳優たちと稽古をしたことで、お芝居の楽しさに目覚められた、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。ただ、お父さんに猛反対され、すんなりと女優になることはできなかったようです。
「岸田今日子の昔は舞台美術見習いで文学座に入っていた!」からの続き
「文学座」の「狐憑」で正式デビュー
1950年、19歳の時、舞台「キティ颱風」で初舞台を踏むと、女優で生きていこうと決めた岸田さんですが、
お父さんには、
このまま劇団に入るのは早すぎる、もっといろんな勉強をしてそしてちゃんとした社会人になってから入りなさい
本気でやるのなら少なくとも三年はパリで勉強するように
と、ずるずると女優の道に入ることを許されなかったそうです。
そこで、岸田さんは、3年後、美術の勉強をしていたお姉さんと一緒に、お父さんにフランスに連れて行ってもらうべく、いったん、「文学座」を離れると、東大仏文科に聴講生として通うなど、本気でフランス語の勉強を始められたのですが・・・
お父さんが結核にかかってしまい、フランス留学は断念。
結局、1952年、再び「文学座」に入れてもらうと、「狐憑(こひょう)」で正式に舞台デビューされたのでした。
(お父さんは、それから2年後の1954年、舞台稽古の途中で突然倒れ、他界されています)
「サロメ」「陽気な幽霊」などで注目を集める
すると、翌年の1953年には、「にごりえ」の端役で映画デビューを果たし、以降、舞台を中心に、映画、テレビドラマ、声優と幅広く活動。
1960年には、三島由紀夫さん演出の「サロメ」で主演に抜擢されると、1962年には、
「陽気な幽霊」(1962)
「バイオリンを持つ裸婦」(1962)
「黒の悲劇」(1962)
などの大作で次々と主演を務め、次代の新劇界を担う新進女優として、注目を集められたのでした。
「サロメ」で三島由紀夫さんに演技指導をされる岸田さん。
「砂の女」で実力派女優としての地位を確立
また、映画でも、1962年「破戒」で「毎日映画コンクール助演女優賞」を受賞すると、
1964年には、安部公房さんの同名小説を映画化した「砂の女」で、昆虫採集に来た男を砂穴の家に引きずり込む未亡人を怪演し、「ブルーリボン助演女優賞」を受賞。
こうして、岸田さんは、実力派女優としての地位を確固たるものとされたのでした。
「砂の女」より。岡田英次さんと岸田さん。
「文学座」脱退~「劇団 雲」設立~「演劇集団 円」設立
そんな岸田さんは、1963年には、「文学座」幹部の運営に限界を感じていた、
芥川比呂志さん、仲谷昇さん、小池朝雄さん、神山繁さん、山崎努さんとともに、
「文学座」を脱退されると、「劇団 雲」の結成に参加。
1975年には、「劇団 雲」も解散し、芥川さん、仲谷さん、橋爪功さんら「演劇集団 円」の設立に参加されると、
その後も、
「じゃじゃ馬ならし」
「マクベス」
「欲望という名の電車」
などの翻訳劇でヒロインを演じつつ、別役実さん、太田省吾さん、清水邦夫さん、つかこうへいさん、平田オリザさんらの新作劇にも積極的に出演。
その独特の風貌を活かした、ミステリアスで艶めかしい役、純真な役、悪女役など、悲喜劇問わず幅広い役を演じ、個性派女優として活躍されたのでした。
「岸田今日子がムーミンの声優をしたのは娘のためだった!」に続く