1970年、芸能事務所に事務員の面接を受けたつもりが、翌日にはモデルとして採用され、その後、あれよあれよとアイドルとして人気を博した、風吹ジュン(ふぶき じゅん)さんですが、1974年9月12日、何者かに誘拐され、大騒ぎとなります。
「風吹ジュンは昔芸能事務所の事務員に応募しモデルで採用されていた!」からの続き
警視庁が暴力団がらみの拉致監禁事件と判断
1974年9月12日午後8時過ぎ、風吹さんは、フジテレビで撮影を終えて帰宅途中、突然、こわもての男たちに腕をつかまれ、車で連れ去られたそうですが、
日付が変わった9月13日の午前2時、風吹さんが都心のホテルにいたところを高輪署員によって発見されます。
幸い、風吹さんにケガはなく、大事には至りませんでしたが、パトカー20台、捜査員50人を動員する大騒ぎとなり、警視庁は暴力団がらみの拉致監禁事件と判断しました。
事務所移籍を巡り3重契約していた
風吹さんに、一体、何があったのでしょうか。
実は、当時、風吹さんは、所属していた「A事務所」の待遇に不満を持っていたそうで、東京・上野で鉄鋼業を営んでいたX氏(作詞家Nの弟子)と事務所の移籍交渉に関する委任契約を交わされたそうです。
そこで、X氏は、風吹さんのために新事務所「B」を設立。お給料を倍にすることを約束し、風吹さんは、新事務所「B」に移籍することになったのですが・・・
ここへきて、別の「C事務所」の社長らが、風吹さんに、(どのように風吹さんとX氏の関係を知ったのかは不明ですが)
X氏は暴力団関係者だ
と、話したことから、風吹さんは動揺。誘われるままに、「C事務所」とも契約を交わしてしまいます。
そのため、風吹さんは、
- 移籍を認めようとしないA
- 移籍交渉を委任され、仮契約をしているB
- 契約書にハンを押してしまったC
と、3重も契約している状態となってしまっていたのでした。
犯人は所属事務所の社員だった?
その後、風吹さんの録音権を持つ「テイチク」が、この事態を収拾するべく調停に乗り出したそうで、
最終的には、新事務所「B」を立ち上げたX氏が風吹さんをプロモートすることに決まりかけたそうですが、ここで、先ほどの誘拐騒ぎが起きます。
ただ、風吹さんを拉致したのは、(暴力団風に見えた男もいたそうですが)暴力団ではなく、なんと、A事務所の社員で、風吹さんに移籍の意志を変えさせるため、話し合いをしようと、テレビの収録を終えた風吹さんを、ホテルに連れて行っただけで、
風吹さんはというと、
フジテレビの前でAの社長に”ちょっと話があるから来い”と言われ、車に乗せられて…とにかく話は分かったから、もう疲れたし帰してくれと言ったら、朝方近くに帰してくれたの。叩かれなんかしなかったわ。
夜から明け方までしつこく言われたんです。とにかくハンコを押せといって、契約書みたいなものに手を取られて拇印を押さされたんです。
と、あっけらかんと語ったのでした。
イメージダウンし人気急落
こうして、この騒動は、X氏が暴力団関係者ではないと報道され、風吹さんが事務所「B」に所属することで、「人騒がせな事件」として一件落着。
とはいえ、風吹さんは、この一連のトラブルからイメージダウンし、アイドルとしての人気が急落。
1974年8月、11月と立て続けにリリースされた、2ndシングル「涙に微笑みを」と3rdシングル「ふたりの舗道」の売上は全く伸びず、NHKからも予定されていた出演は全て断られてしまったのでした。
「風吹ジュンの若い頃は「蘇る金狼」で松田優作と濃厚なラブシーン!」に続く