トランペット奏者だったお父さんと、ショーダンサーだったお母さんのもと誕生した、木の実ナナ(きのみ なな)さんは、歌と踊りが上手で、近所の大人たちのアイドル的な存在だったそうですが、その一方で、子どもたちからは、ひどいイジメを受けていたといいます。

「木の実ナナは幼少期から歌と踊りが上手だった!」からの続き

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父親が浪費家で極貧生活

幼い頃から、歌と踊りの才能に恵まれていた木の実さんですが、お父さんが浪費家だったため(楽団のトランペット奏者として活躍し、ハンサムだったことから女性によくモテたそうです)、6畳一間の狭い部屋に、木の実さん、妹、両親、叔父、祖母の6人が住む、極貧生活だったそうです。

(木の実さんは、お父さんの愛人の家に遊びに行ったこともあるそうです)

そんな中、隣に住む夜の仕事をしているお姉さんが、時々部屋に招いてくれ、「まりちゃん(本名・鞠子)、今日はこれ」と、ハーシーのチョコレートや、ビスケット、キャラメルなど、駄菓子屋さんでは売っていないようなお菓子をくれたそうですが、お姉さんの部屋の色鮮やかな壁紙や家具などを見ては、「いいなあ」と、子供心にうらやましかったそうです。

その後、お父さんは、いつ頃かは不明ですが、ジャズ全盛時代が終わるとともに、トランペット奏者の仕事を失い、アルコール依存症になってしまったそうで、木の実さんが17歳で芸能界デビューした後は、木の実さんが、一家の稼ぎ手をして家族を養われたのだそうです。

(そんなお父さんは、木の実さんが有名になってからは、「木の実ナナの父親だ」と酔って叫んでは警察に保護され、木の実さんが迎えに行くことがしばしばあったそうですが、1988年、「肝硬変」により他界されています)

イジメられっ子だった

そんな木の実さんは、目鼻立ちがはっきりしていたうえ、お母さんの趣味で、3歳からパーマをかけられ、髪の毛がくるくるの茶色だったことから、

小さい頃から、近所の子どもたちに「合いの子」と言われ、イジメられたそうで、同級生に傘で顔に傷をつけられたこともあったそうです。

(当時、木の実さんと同い年の女の子はみんな、おかっぱ頭で、男の子は坊主か坊ちゃん刈りだったそうで、それだけに、木の実さんの髪型は相当目立っていたそうです)

それでも、木の実さんは、イジメられるがまま、抵抗しなかったそうで、両親に心配をかけまいと、イジメられたことが知られないように、公園の水道で汚れた顔を洗ってから帰宅していたそうですが、

ある時、お母さんが気づいて、イジメた子の家に乗り込み、すごい剣幕で、「この子は合いの子じゃありません。私の子で、父親もちゃんと日本人ですから」と言い、相手方に謝罪させたこともあったそうです。

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父親からケンカ必勝法を伝授されイジメっ子を撃退

また、木の実さんがイジメられていると、近所の大人たちが助けに来てくれることもあったそうですが、

(木の実さんは、大人たちからはかわいがられていたそうです)

そのうち、お父さんが、

お前、負けてるばかりじゃだめだ。1回負けたら1回勝て。ケンカの仕方を教える

相手が攻撃してきたら、まず急いで下駄を脱ぐ。それを持って顔の前で交差、その体勢で相手に向かっていけ

と、実践方法を教えてくれたそうで、

次にイジメられた時、この方法をやってみると、なんと、本当にイジメっ子を撃退できたそうで、それ以降、二度とイジメられなくなったのだそうです♪

「木の実ナナは友達のオーディションの付添で合格し芸能界入りしていた!」に続く

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