ラジオ局「ニッポン放送」入社後は、アシスタントディレクターとして働きつつ、毎日、帰宅後、明け方までテレビの脚本を書いていたという、倉本聰(くらもと そう)さんですが、疲労がたまり、ある日、誤って未放送分の録音テープを消してしまうという、取り返しのつかない失敗をしたことがあったといいます。

「倉本聰は昔「劇団四季」を不合格になり「劇団仲間」に入部していた!」からの続き

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ニッポン放送(ラジオ局)で働きつつ家でテレビの脚本も書いていた

1959年、24歳の時、ラジオ局「ニッポン放送」に入社した倉本さんは、制作局に配属され、アシスタントディレクターとして、ドラマやコントなど、同時に6本くらい手がけられたそうで、とにかく忙しかったそうですが、

(倉本さんによると、お兄さんは就職、お姉さんは結婚で家を出たため、一家の家計は倉本さんの双肩にかかっていたそうです)

会社には内緒で、テレビの脚本を書いていたそうで、夜10時に仕事を終えて家に帰ってから、午前3時~4時頃まで脚本を書いていたため、睡眠時間は2~3時間だったそうです。

未放送分の録音テープを誤って消去してしまう

そんなある日の夕方、倉本さんは、運行デスクに、

山谷(倉本さんの本名)、明日からのテープが出てないぞ

と、言われ、必死に探したそうですが、どこにも見当たらなかったそうで、

よくよく考えると、まだ放送されていない分を誤って消去してしまっていたことに気づいたのだそうです。

(当時、オープンリールのテープは高価だったことから、放送を終えると消して再利用していたそうですが、疲労困憊の毎日を送っていた倉本さんは、睡眠不足による疲れから、誤って、放送されていない分を消してしまっていたのでした。)

クビを覚悟して途方に暮れるも・・・

ただ、このテープ、渥美清さんと水谷良重(現・水谷八重子)さんが夫婦役の5分間の番組「天下晴れて」の録音テープで、当時、売り出し中で多忙だったお二人が、なんとかスケジュールの合間を縫って、まとめて録音したものだったそうで、

大急ぎで録り直すしかないところ、渥美さんは真夜中に来られることになっていたものの、水谷さんはというとヨーロッパ旅行中で、録り直すこともできず、倉本さんは途方にくれたそうで、

帰っちゃおう。クビだな

と、思いつつ、夜7時、フラフラと会社を出て、有楽町にあった喫茶店「メッカ」に行ったそうですが、

やはり、そのまま家に帰る勇気はなく、かといって良いアイディアもひらめかずで、そのまま時間は過ぎていき、何もできぬまま、夜中になってしまったのだそうです。

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渥美清の協力と台詞の繋ぎ合わせで凌いでいた

すると、突然、まだ消していない放送済みのテープから、水谷さんの「ばかねえ」や「それでどうしたの?」などのセリフを抜き出して、それに合う渥美さんの台詞を新しく作り、渥美さんに新たに吹き込んでもらうことをひらめいたそうで、

倉本さんはすぐに会社に戻り、まだ消していない放送済みのテープから短い言葉を抜き出し(この作業には時間がかかったそうですが)、何とかそれに合う渥美さんの台詞を作ると、

その後、渥美さんが巧みにその台詞を合わせてくれたそうで、なんとか、放送時間(朝6時45分)の直前に完成したのでした(6本分も出来たそうです)。

(ちなみに、渥美さんからは「あんたは偉い」と褒められたそうですが、倉本さん自身も、「俺は天才だ!」と自画自賛したのだそうです(笑))

「倉本聰はニッポン放送時代に内緒で書いた「現代っ子」が大ヒットしていた!」に続く

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