1967年、テレビドラマ「お登勢」での共演がきっかけで、かねてより憧れだった俳優の村井國夫さんと不倫関係となると、その後は、村井さんの離婚が成立し、晴れて結婚された、音無美紀子(おとなし みきこ)さんですが、結婚後は、村井さんの浮気グセ、息子の難病、そして、自身も「乳ガン」になるなど、様々な困難に見舞われます。
「音無美紀子の旦那は村井國夫!地井武男の紹介で不倫交際していた!」からの続き
夫・村井國夫の浮気グセに悩まされる
音無さんは、村井さんと交際を始めた当初、村井さんが既婚者で不倫関係だったことを知らなかったそうですが、それでも、その後、村井さんの離婚が成立し、晴れて結婚に至ると、結婚後は、女の子と男の子を一人ずつ出産し、幸せな結婚生活を送られているかと思われたのですが・・・
かねてより、プレイボーイとして名をはせていた村井さんは、結婚後も浮気グセが直らず、度々、週刊誌に報道されては、音無さんはマスコミの取材攻勢に遭います。
息子の難病に悩み「統一教会」に入信
そんな中、二人目の子供である息子さんが難病にかかってしまったそうで、悩んだ音無さんは、息子さんの入院先の看護師に紹介され、1986年、夫の村井さんには一言も相談せず、新興宗教「統一教会」に入信。
音無さんは、村井さんとの共著「妻の乳房 -「乳がん」と歩いた二人の十六年」(2004年発売)で、
神につながれば息子の病気は治るという。しかし、現実問題として出家はできない。
では、自分の命を投げ出して息子を救えるかといえば、心境としては息子が助かるなら身代わりになって死んでもいいという気持ちだけれど、それは間違いなくそうだけれども、では夫や娘を残してもいいのかといったら、そうはいかない。
だから出家をしなくても、身代わりにならなくても、神に近づける道があると聞いたとき、私は飛びついたのだった。
と、わらにもすがる思いだったことを明かされています。
ただ、入信後は、
たとえば、勉強会に行くときは夫に内緒で出かける。急に、今日いらしてくださいと言われることもある。今日は主人が在宅ですから行けません。嘘をついてでもいらしてください。神は嘘をついても非難しません、と言う。
それはそれで納得するとして、たとえ子どもに熱があっても、夫が行くなと足止めしても、家庭に波風が立とうとも、なんとしてもここに来ることが信仰ですとまで言われると、どこかにためらうものがあった。
これが信仰なのだろうか。こんなに不自由で、こんなに自分の気持ちを閉ざして、気持ちが羽ばたけない信仰で、心が自由になるのだろうか
と、矛盾を感じながら、信仰を続けていたことも明かされています。
左の乳房に小さなしこりを感じるも・・・
その後、息子さんは幸いにも健康を取り戻し、一安心かと思われたのですが、
(それでも「統一教会」への信仰は続いていたそうです)
1988年5月、入浴中に自分の胸を触った際、左の乳房に小さなしこりがあることに気づき、夫の村井さんに相談すると、村井さんに勧られ、産婦人科に行ったそうですが、
おそらくガンではないでしょう
と、言われたそうです。
(レントゲンや超音波などの設備はなく、触診だけでの診察だったそうです)
ただ、医師は、念のためにと、T大学病院に紹介状を書いてくれたそうですが、音無さんは、子どもの頃から病気らしい病気はしたことがなく、いつも健康そのもので、家族にもガンになった人は誰もいなかったことから、
そのうち仕事が一段落したら
と、軽く考え、そのまま放っておいたのだそうです。
乳ガン
すると、それから約2ヶ月半後の夏のある日のこと、村井さんとゴルフをした翌日、左腕を上げると、胸に強い痛みが走ったそうで、そこでようやく、T大学病院の乳腺外科を受診し、触診してもらうと、
担当医から、
乳ガンの疑いが強い
と、言われてしまったのでした。
冷静を装いつつ激しく動揺していた
ちなみに、音無さんは、医師から「乳ガン」の疑いがあることを告げられても不思議なほど冷静だったそうで、これから受ける検査のことや、手術を受けることになった時の入院期間などを説明する医師の言葉も、落ち着いて聞くことができたそうですが、
(医師の説明を聞いている自分を、もうひとりの自分が見守っているような、妙な気分だったそうです)
医師の説明が終わり、椅子から立ち上がろうとしても、しばらく立ち上がることができなかったそうで、
自分の足が自分の足でないような感覚で、床を踏みしめている感じがしないから、腰が上がらないんですね。しっかりしなさいって自分を鼓舞して、やっと椅子から離れることができました
と、やはり、内心は激しく動揺されたのでした。