「遠藤歌謡教室」の遠藤実先生の尽力で、名門レコード会社「ビクター」のオーディションを受けることができ、見事合格すると、「ビクター」の大ヒットメーカー・吉田正先生に師事することになった、橋幸夫(はし ゆきお)さん。その後は、トントン拍子で事が進みます。
「橋幸夫は高校生で「ビクター」のオーディションに合格していた!」からの続き
当初「ビクター」には何をするでもなく遊びに行っていた
晴れて「ビクター」と専属契約を交わした橋さんですが、
専属になるんだから、色々と支障があるかもしれないけれど、とにかく学校が終わって時間が取れたら、ビクターに遊びに来なさい
と、言われたそうで、
何のために遊びに行くのか分からなかったそうですが、当初は、月に3回くらい遊びに行くと、何をするでもなく、ただ、椅子に座っていたそうです。
ただ、スタッフやオーケストラが廊下をバタバタ行ったり来たりしているところや、「第一スタジオ」という大きなスタジオで人々がレコーディングしている姿など、まだ馴染みのない景色を見るのは楽しかったのだそうです。
(橋さんは、ずっと後になって、「遊びに来なさい」というのは、「(「ビクター」の雰囲気に)慣れなさい」ということだったと分かったそうです)
レコーディング曲として「潮来笠(いたこがさ)」が決定
そんな日々がしばらく続くと、やがて、吉田正先生の自宅で本格的なレッスンに入ることになったそうですが、それまで「遠藤歌謡教室」でやっていたレッスン曲を全部持ってくるように言われたそうで、
今度は、吉田先生がそれらを弾き、橋さんが1曲ずつ全部、歌っていったそうですが、これは、吉田先生が、橋さんの音域、声質、どういう曲が合っているのかなどを、確かめるための作業だったのだそうです。
そして、いよいよ、 吉田先生がレコーディング曲の候補曲として、「潮来笠(いたこがさ)」「伊太郎旅唄」「君恋い波止場」「あれが岬の灯だ」の4曲を作ってくれると、
吉田先生から、
君はどれが好きかい?
と、聞かれたそうで、
橋さんは、「あれが岬の灯だ」を選んだそうですが・・・
結局は、大人たちの間で、「潮来笠」に決まってしまったそうで、
橋さんは、
そういうのも運命ですよね。決められたレールばっかり(笑)
と、語っておられます。
(「あれが岬の灯だ」はセカンドシングルとして発売されました)
デビュー前に超人気テレビ番組「ロッテ歌のアルバム」に出演
そうこうするうち、レコーディングの日になり、夢中で4曲レコーディングすると、その中から「潮来笠」(カップリングで「伊太郎旅唄」)で、(1960年)7月にデビューすることが決定したそうですが、
デビュー1ヶ月前の日曜日、生放送の超人気番組「ロッテ歌のアルバム」に出演することに。
(当時の歌番組「ロッテ歌のアルバム」の中のコーナー「フランク永井ショー」のゲストとして、1曲だけ歌うというものだったそうです)
そして、番組では、フランク永井さんが4~5曲歌った後、司会の玉置宏さんから、
今日出る新人を聴いてください
と、紹介され、イントロが流れ始め、緊張しながら、(まだ衣装も決まっていなかったため)赤いブレザーに、ネクタイ、白いパンツ姿で舞台に立ったそうですが・・・
まだデビュー前で誰も知らないはずの新人の橋さんに、客席から、「キャー!!」という女の子の歓声が上がったそうで、「えっ!?」とびっくりしながらも歌い続けると、
途中からは、紙テープがいっぱい飛んできたそうで、今度は、紙テープをよけながら、なんとか夢中で「潮来笠」を2コーラス歌い終わることができたのだそうです。
実は、これ、サクラだったことを、橋さんは歌い終わった後に、「ビクター」の担当者に聞いたそうで、当時の「ビクター」は、35局ネットというとても人気のある生放送番組「ロッテ歌のアルバム」に、まだどこにも出たことがない、名前も知られていない新人の橋さんを、このようなセンセーショナルな方法で売り出していたのでした。
(そもそも、まだ高校生だった橋さんは、テレビ出演が決まった時ですら、「デビューもしてないのに?」と不思議に思っていたそうです(笑))
「橋幸夫はデビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」が大ヒットしていた!」に続く