1960年、17歳の時、「潮来笠」でレコードデビューすると、いきなり、爆発的なヒットを記録し、その年の「第2回日本レコード大賞新人賞」を受賞するほか、「第11回NHK紅白歌合戦」にも出場した、橋幸夫(はし ゆきお)さんは、1962年にも、「いつでも夢を」(吉永小百合さんとのデュエット曲)が大ヒットを記録し、スター歌手として頂点を極めます。

「橋幸夫のデビュー直後3年間の忙しさが凄すぎる!」からの続き

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自宅に来たファンを家に上げご馳走していた

デビュー曲「潮来笠」の大ヒットで、たちまちスターダムに駆け上った橋さんですが、当時は今と違い、「紅白歌合戦」の視聴率が80%を超えるなど、娯楽が少ない時代だったため、1曲ヒットすると、その人気は凄まじく、

橋さんもその例にもれず、どこの商店街に行っても、電信柱についていたスピーカーから、橋さんの歌が流れていたそうです。

また、プライバシーという言葉さえない時代で、なんと、雑誌に自宅の住所が書いてあったことから、ファンが、毎日、家に来ていたそうですが、

当時のファンはマナーが良く、一線を越えてくることはなかったことから、橋さんの両親もファンを家に上げては、ご飯をご馳走するなど、とても良い関係を保っていたそうです。

当初は着物ではなくスーツだった

ところで、橋さんといえば、着物を着ているイメージがありますが、デビュー曲「潮来笠」のジャケットや、マルベル堂のプロマイドは、スーツ姿で写っており、当初は、着物を着ていなかったそうです。


潮来笠

それが、

橋君のところは呉服屋だからな、着物でも来たらどうだ

と、吉田正先生に言われたことから、以降、お母さんとお姉さんに着物を見繕(みつくろ)ってもらい、着物を着るようになったそうです。

(お姉さんが着付けなどを全部やってくれたそうです)

ちなみに、デビューして2年間は、未成年ということで、お姉さんにマネージャーをしてもらっていたほか、当時の撮影所の写真には必ずお兄さんたちが写り、お母さんはというと、橋さんの「追っかけ」第一号として、テレビ局など、どこにでもついて来られていたそうで、橋さんは、そんな家族にずっと支えられていたそうです。

「あれが岬の灯だ」「おけさ唄えば」「喧嘩富士」「木曽ぶし三度笠」「磯ぶし源太」などヒットを連発

さておき、1960年にデビュー曲「潮来笠」が大ヒットを記録した橋さんは、

その後も、

1960年8月「あれが岬の灯だ
     10月「おけさ唄えば」
     11月「喧嘩富士」
     12月「木曽ぶし三度笠」


あれが岬の灯だ

1961年3月「磯ぶし源太
     5月「若い素顔」
       「南海の美少年」
       「わが生涯は火の如く」
     7月「沓掛時次郎」
     8月「すっとび仁義」
     9月「明日を呼ぶ港」
     10月「東京の美少年」
     10月「俺ら次郎長」
     11月「北海の暴れん坊」
     12月「花の兄弟」


磯ぶし源太

1962年1月「江梨子」
     2月「悲恋の若武者」
     4月「かっこいい節」
     5月「悲しき天使」
       「中山七里」
     6月「若いやつ」
     8月「美少年忠臣蔵」
       「あした逢う人」
     9月「成田の花太郎」


「江梨子」

と、立て続けにシングルをリリースすると、「あれが岬の灯だ「おけさ唄えば」「喧嘩富士」「木曽ぶし三度笠」磯ぶし源太」などヒット曲を連発し、あれよあれよとスターの座へと駆け上ります。

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「いつでも夢を」(吉永小百合とのデュエット曲)が大ヒット

そして、1962年9月に発売した27枚目のシングルで、吉永小百合さんとデュエットした「いつでも夢を」は、発売当初から話題となり、発売から1ヶ月で30万枚を売り上げると、半年が過ぎた翌年1963年の5月には、売上100万枚超の大ヒットを記録。

同年には、「第4回日本レコード大賞」を受賞するなど、橋さんは、人気歌手として頂点を極めたのでした。


「いつでも夢を」

ちなみに、橋さんは、「第4回日本レコード大賞」の報告を受けた時のことを、

荒川の土手で、(同名映画「いつでも夢を」の)ロケで僕と小百合ちゃんと浜田みっちゃん(浜田光夫さん)の3人のシーンの時に日活の宣伝部の社員が『おーい、レコ大取ったぞ』って手を丸にしながら来ました。

撮影しながら『これがレコ大になったら正月映画もすごくなるね』って言っていたタイミングで、日活の人は大喜びだったね。これね、授賞式の当日は面白かったの。

夕方に会場の日比谷公会堂に行くと、作曲家の先生方が通りすがりの人に『これ、今日発表なんです。無料です』とチラシを配っているワケ。PR不足でお客が入っていないのよ。

橋、小百合がただで見られるワケですから、それなりに人は入りましたがね。小百合ちゃんも忙しくてこのステージで初めて一緒に歌いました。幸いハーモニーもないしユニゾンですから大丈夫でしたね

と、語っておられます。

「橋幸夫は若い頃「御三家」(舟木一夫と西郷輝彦と共に)と呼ばれていた!」に続く

「いつでも夢を」より。橋さんと吉永小百合さん。

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